今日も朝から安い魚

http://oddb.main.jp/addb/index.php?Diary%2F2006-06-07
http://psyx.niu.ne.jp/silence/afterwords/266606.html#07_01

との返信がありました。従って、このサイトの管理人である「遠藤覚志(えんどー)」と、
同じペンネームでサークル参加申し込みを行った、私が知らない誰かがいるという事になります。

 と、既存のサークルと同じ名前のサークル名、既存のペンネームと同じペンネームでイベント参加した人物がおり、

そして、あまり想像したくはないのですが、こちらのサークルの方が、
何らかの悪意を持ってこの様な行動をされていると仮定した場合、
私の名前を利用し、サークル様に対し何らかの行動を起こす可能性があります。
考えすぎかもしれませんが、ここで私のスタンスを表明しておきます。

 「騙られた」?サークルの方が予防措置を講じたところ、

 そもそもの発端は馬鹿話や思いつきの類ですが、実際に「ADDB+」の参加申請を出したことに関して、目的はふたつありました。

1. ある筈のないサークルの存在によってネットラジオの内容が混乱するであろうという期待
→「ADDB+」名義のサークル参加申請を出し、後は一切情報を出さずに放置
2. ある筈のない新刊の存在によって当日会場の一部が混乱するであろうという期待
→一部有志により、全原稿が「えんどー」名義の合同誌を秘密裡に作成

 まず明らかにせねばならないと考えているのは上記の部分ですが、善し悪しは別として、意図された目的の各々については記載の通りです。

 善し悪しは別として、"サプライズ企画"であった話。


釣り耐性が非常に弱い私は、あっさり釣られてしまいました。
公式っぽい組織は、釣りをしないものだと思っていましたが、どうもそうではなかったようです。

 改めまして。
 こういった事態を引き起こしたことについて、遠藤さん、相澤さん、ふぁなさん、並びに関係各位に対し、お詫び申し上げます。

私は、関係各位でないのでアレなのですが、釣りネタを、善意の第三者を通じて拡散させたお手並みには感服しました。緊急事態です、とかいって自分のサイトにリンクしたほうがよかったのか悪かったのか、ちょっと考えてしまうくらい。かといって、

でもなぁ〜。そうすると、かな〜り「自作自演」っぽい決着の仕方だよねこれ。
穿って読まないで下さいね(苦笑)。

ここまで話題づくりのための「自作自演」である、という可能性を想定しないのは、やっぱり安い魚故でしょうか。
参加サークルが実はみな釣りだった、いや、イベント自体が釣りだった、とかいうすばらしいオチを楽しみにしています。

Op.の数式をまとめたサイト

http://d.hatena.ne.jp/flappphys/20060429#p4

ハルヒと比較すべき作品

同時代作品で類似や差異を検討するなら『涼宮ハルヒの〜』と『サマー/タイム/トラベラー』やもしれぬな。

 やたら行動的で世界に対して屹立したい美少女ちゃんに率いられる実質SF研究会であるところの高校生集団、語り手は饒舌で韜晦好きな少年のお話、ってコトで。--http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060608/p2

 話は変わるけど、「フィクションをどう消費すべきか」というテーマが、そのへんに共通して存在している気がする。スラムオンラインなんかも。まあ、全ての料理に塩が含まれている、みたいな指摘だけど。

連:長門SS:魔界都市日記

http://d.hatena.ne.jp/maepy/searchdiary?word=%2a%5bSS%5d
via http://www.cupofagod.com/blog2/
こういう話は大好き。ちょっといいづらいようなことを、淡々と喋っちゃう長門に転がりまくり。

朝倉さん派閥

http://d.hatena.ne.jp/deillumination/20060608/1149707814
ズ、ズレを直したくて仕方がありません(w

"80年代か90年代前半だったら、アニメのハルヒって完全にいじめられっ子キャラだよね。"

80年代か90年代前半だったら、アニメのハルヒって完全にいじめられっ子キャラだよね。クラスメイトとの関係で。今週の「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅳ」冒頭での朝倉との会話シーンの描写を見てそう思った。(原作では変化していくけど)

現代においてそれは「セカイ系」の名を得るけど、基本的なノリは十二国記の中嶋陽子なんじゃないか。あのシリーズの冒頭における陽子と今のハルヒがなぜか重なって見えた。ハルヒは陽子の夢を見ている。--http://d.hatena.ne.jp/kanryo/20060608#p2

2.5" フラッシュディスク

PQIのフラッシュディスクは標準的な2.5インチHDDと比較しても遜色ない64GB、転送速度32MB/s。しかも今年8月には出荷が開始されるとのこと。--http://japanese.engadget.com/2006/06/08/pqi-64gb-sata-ssd/

W杯チケット問題、日本は騒ぎすぎ

http://kuyou.exblog.jp/3697950/

ビジネス上のトラブルに過ぎない。日本のメディアが騒ぎすぎだ

 ガキの言い訳カヨ。この人達とビジネスをしてはいけないのかも知れません。どんな契約も約束も反故にし、謝らない上に開き直るし。--http://www.paintworker.com/masamune/

要するに、
あちらに非があるとき「ビジネス上のトラブルで騒いでは友好関係が保てない」
日本に非があるとき「ビジネス上のトラブルを解決しなくては友好関係が保てない」
なんとか新聞「友好関係を!」

オタク世代論

いまさらこんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんが、僕は実は、『動物化するポストモダン』が世代論やオタク論に偏ることを本気で避けたいと思っていました。もし「世代」に強い意味をもたせるとしたら、オタク第2世代は、1970年近辺生まれではなく、1980年近辺生まれ、つまり、いま第3世代と言われているあたりに設定するべきでした。そうすれば、第1世代が第2世代に変わった! これからは世界設定じゃなくて萌えだ! という話なのでまとまりがいいのです。実際、『動物化するポストモダン』の内容からしても、そうなるべきでした。第1世代はシニシズム、第3世代は動物、というのが、あの本の(きわめて大雑把に要約すると)主張なのですから。

にもかかわらず、主張が弱くなるのを承知で第2世代を入れたのは、「世代」という言葉を単純に出生年代区分として使いたかったからです。1960年生まれは第1世代、1970年生まれは第2世代、1980年生まれは第3世代、という区分は、出生年を区分して示しているだけなので、深い意味をもたないと思ったのですね。実際はそうなりませんでしたが……。

というわけで、あの世代区分は、こういう風に使うべきなのです。あなたの出生年から1950を引く。それを10で割ったのがあなたのオタク世代です。

1971年生まれの僕は、オタク2.1世代。1959年生まれの宮台さんは、オタク0.9世代。1991年生まれの君(僕の読者のなかで年齢が確認できた下限)は、オタク4.1世代。こうすると、1950年生まれはオタク0世代ということで、団塊全共闘世代(1947-49年生)直後からオタク化が始まったという図式になります。便利というか、内容がないというか、こういう区分なのですね。--http://www.hirokiazuma.com/archives/000222.html

◆第1〜第3に世代を分けたがる風習
 世代分けの無意味さ。下記は、25年前の雑誌記事。

(参考)『アニメージュ』81年2月号の記事“「大御所VS第3世代」座談会”

安彦(良和)「第3世代というのは、いつごろから始まった言い方なんでしょうかね。いかにも、最近、自明のことばのように使われているけど」
大塚(康生)「ぼくは今年50歳になるんです、いや来年だ(笑)。これは第1世代といわれてもしょうがないでしょうね。森康二さん、大工原章さんからぼくくらいまで、ひっくるめて第1世代ということになるんでしょうね。(略)。第2世代といえば、テレビ時代の夜明けにこの仕事に入って、いまテレビや映画の作品づくりを背負っている人たち。出崎(統)さん、宮崎(駿)さん、小田部(羊一)さんとか、りん(たろう)さん、もう、みんな40前後に近づいている」
安彦「そうするとぼくは…」
大塚「第3世代ということになるでしょうね。もしそういう分け方をするなら」
友永(和秀)「ぼくははじめて聞いたなあ」
金田(伊功)「なんか、恐ろしい感じ」
安彦「最近、よく聞くんです」
友永「スゴイなあと思って。もしかするとオレたちのことかなあと思って…(笑)」


 ↑今や全く聞かない(笑)。そして繰り返される「もしかするとオレたちのことかなあ」の歴史。--http://bono.chips.jp/

「オタク イズ デッド」も死んだ今日この頃だけど、オタク世代論について。
規範的な言葉を振りかざしてどうこういうのはつまらない話。
でも、大塚英志と、そのへんの中学生を同じ形質の持ち主とみるのもアレだし、「40代オタ」「10代オタ」というのも不便だし、言葉の限界を知った上で、1世代オタ、3世代オタ、と呼ぶのは便利かなとおもう。

"浅木原さん経由 で、岩田洋季護くんに女神の祝福を!」今秋WOWOWにてTVアニメ化決定!。"

http://www2e.biglobe.ne.jp/~ichise/TODAY/2006_06.HTM#d07_2
想定外。
とりあえず、PRなどでエーたんが出てこないのは反則だとおもいます。


あ、あと、このタイトルがアニメ向けでない、という話を時折目にします。
機軸キャラクターに、「欠落」や「目標」が存在すれば、それを埋めることがテーマになります。
ある意味護くんに「欠落」は無く、至近目標を感じさせるイベントも少ないため、アニメ向けで無いようにみえるのでしょう。
だからエーたんを(以下略

シェアワールド

 ところで。現代で学園で異能な一連のそれらは『灼眼の〜』の跡目争いっぽいので、いっそ共通設定で、クトゥルー神話みたくシェアして書いたらどうか? と、ちょっと思った。--http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060606

 そんな時代が来るかもしれませんね。


 ちなみに、異能を畳めるかどうか、というのが、数々の作品を読む楽しみだったりする。さらに鍵括弧つけちゃうけど、『異能』をうまく畳んだのがDクラ、「主人公は『異能』がうまく畳めない」ということもテーマなのがFate、吸血鬼ハンターDは、畳もうとする意思はすごいけど、畳めるのかどうか。クトゥルーとか、RPG風ファンタジーは、畳まなくても気にならないくらい『異能』がしっかりしているということで。

エレガントでない解答を考える

http://satoshi.blogs.com/life/2006/06/post_3.html

例題2.サイコロを2個、順番に投げることにします。1つ目のサイコロの目の方が二つ目のサイコロの目より大きい確率を求めてください。

 やっぱり、方眼紙に数字を書く。すると、正方形な升目の、対角線を抜いたあっちとこっちに色分けできる筈だ。
 ここで、一般化できない人間であれば、一般化しないほうが無難じゃないかな。
 ほら。事故でいくつかのサイコロの目が欠損したときに対応しやすいし(w

"脱オブジェクト指向のススメ"のススメ

http://blogs.itmedia.co.jp/tamaki/2006/06/post_57ab.html
なんか、揶揄するようなブクマコメントを書いたので、ちょっと補足。
「自分はこんなに辛いけど、この辛さを解消してくれる、魔法があるんじゃないか?」
という発想が出現することが稀にあります。いや、よくあります。
進化論的、マーケティング的に考えれば、
「そんないい方法があるなら、みんな使っている筈だ」
という考えに行き当たる筈ですが、世の中には…いや、一般化はやめましょう。
俺さまは厨なので、つい魔法を探してしまうのです。
フォトショップが遅いのは、「HDDが遅いからに違いない」と思い、「その為にはRAIDだ!」とか思ってストライピングをやってみても、あまり変わらなかったり*1、一枚のLCDでPCもテレビも見れるとイイナ、と安いコンバーターを買ってみると(以下略、エンジンオイルに添加剤を入れてみたり、そのたびにガックリしてきたという。
不満があり、それを解消する魔法を探すと、あまり良くない結果に終わってきたという。


あ、話が逸れた。
構造化とか、オブジェクト指向とか、そういう理念の素晴らしさとか価値は、筆者は自分の1億倍は知っていると思うけど、だからこそ「○○さえいれば、なんとかしてくれる」的な期待に冷水を浴びせる記事を書いたのかな、と思うけど、いや、ちょっと釣られたコメントを書いてみました。安い魚だし。

*1:ヒント:スループットとかレイテンシとかオーバーヘッドとか

"「好きなことを書けばいい」というアドバイスは役に立つのか?"

http://maname.txt-nifty.com/blog/2006/06/post_e28b.html
技術的な質問には、技術的な解答が役立つ。
が、要約すると「幸せになるにはどうしたらいいでしょうか」というメタな質問には、技術的解答は効果を発揮しない。
その場合、「あなたが幸せになる仕様を、実現すればいい」と、メタな解答をして(以下略。



つまり、「東京から札幌に行くにはどうしたらいいでしょうか」
という問いがあれば、電車船飛行機自動車、それぞれの利点欠点を話すことができるけど、
「私が幸せになるにはどこに行けばいいでしょうか」
という問いには、
「あなたが行きたいところに行けばいい」
と答えることになる。


あ、もっと簡単な喩えをおもいついた。
「どんな株を買えばいい?」
「もちろん、値上がりする株だよ。」
メタさ加減を理解できる人なら役立つし、そうでなければ(以下略。

返事

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20060608
あ、お返事どうもです。
 無限ループだの、スタックオーバーフローだの、そんなトラブルはフォンノイマンチューリングマシーンではない、人間の頭脳で実現するほうが難しいと思います。ただ、自らの思考を(無限)ループに嵌って、と形容する人を見たことがあるので。ヘンな状態に陥っていなければ、それは喜ばしいことです。
 で、どうでもいいけど、自分を考える相手を考える自分…という連鎖は、7連鎖位が限界だそうです。誰かを騙すには、「自分の行動について、相手はこう考えるはずだ」と、3段階くらい連鎖させる必要があり、結構高等な哺乳類じゃないと嘘はつけないとか。


 猫の話は、信じられる範囲で信じています。物理的な素養はないけれど、量子を「粒子と断定する」ことが、何か矛盾を生んでいるのかな、という印象です。単に、無限小のフラグメントの集合だと、量子が整数値を取ることが納得できないので、波の重ね合わせみたいなものがあるのかなと思いますが、そのへんは機会があれば調べてみる予定です。