共有地の悲劇

たとえば、共有地(コモンズ)である牧草地に複数の農民が牛を放牧する場合を考える。農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧する。自身の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するが、共有地では、自身が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうので、牛を野放図に増やし続ける結果になる。こうして農民が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果としてすべての農民が被害を受けることになる。

Wikipediaより。


 牧草が牛100頭分で農民が10人(世帯)の場合には一世帯10頭しか牛が飼えない筈だが、それを解決する方法がある。憲法制定と『管理人』の雇用だ。憲法を制定し「農民には共有地を使う権利がある。但し農民は公共の福祉に反してはならない」という条文を備える。で、「俺は農民だ。共有地を使う権利がある。100頭の牛を連れて入るぞ。公共の福祉に反する?納得がいかん。農民の権利を制約するのは戦争への一歩。ほかの農民が牛に牧草を食わせられるかどうかは管理人の責任。それができないのは能力不足だ…」
 ともあれ、こういう村がこの先生きのこれるかは興味のあるところ。