ダブロン:ダブスタ議論

ダブスタの何が悪いのか、または小市民の生存戦略

そもそも「ダブスタ」の何が悪いのかわからないあらゆる人や事象に対してただ一つの基準で判断し、行動する そんな人間が存在するのか、存在したとしてそんな奴をお前らは好きになるのか?俺だったらそんな人怖くて絶対関わりたくない
というかさ、いろんな基準を使い分けてその場その場を何とか切り抜けていくのが俺ら小市民のライフハックじゃないの? 「ダブスタ」がよくないとすればそれは「基準が2つあること」ではなくて「基準が2つしかないこと」だろう。
引き出しが多いことに越したことはないfinalventみたいに引き出し多すぎて空箱だらけの人がいる一方1つしかないのに無理に詰めてふとん圧縮袋が破れた押し入れ状態の青二才みたいな奴もいるけどさ

https://anond.hatelabo.jp/20121201093433

ダブスタの指摘

何度もいうように、ダブスタの指摘というのは、「○○しながら××するのはおかしい」が基本フォーマット。「○○しながら××しないのはおかしい」は、論理的にダブスタの指摘たりえない。

http://twitter.com/noiehoie/status/305943447989280769

「なんで俺たちだけ、トラメガ使わず、看板も立てず仲間と駅を歩いているだけで逮捕するんだ。なら、あの集団とかその若者達とかも逮捕しないのはおかしい」「それは論理的にダブスタの指摘たりえませんよ」




論理矛盾探しゲームをしている人は、人間的に成長できない

別に、人間的に成長する必要なんてサラサラないんですが、なんか論理矛盾探しゲームをしていると、高等な人になった気になって、自身が成長している、考えに深みを増していると錯覚しがちだと思います。

つまり、他人の悪行を非難したり、見つけたり、指摘したりする行為は、仮に社会に役に立つとしても、普通に善行を行っている人とは違うということです。

https://anon.isc5.com/2014/03/ronnri-game.html

ダブスタダブスタダブスタダブスタと…

むかーしむかし、ダブスタにもいいダブスタと悪いダブスタがあるということを書いた記憶があるんだけど、同じ話かも。
そもそもダブスタであることに気づかないでいてしまうこと自体がわりとよくあることだと思う。
ってのは、物事を考えるときの尺度(つまり、スタンダード)って物事によってぜんぜん違うのは当たり前、問題はどの尺度を使うかの判断が人によって違うってっことなんだよな。
だからダブスタを指摘している人ですら、こっちにはこの尺度、こっちにはこの尺度を当てはめてこれとこれで言っていることが違うって指摘してたりするんだよね。つまり、ダブスタです。

だからなー。ダブスタ批判ってのは難しいんですよ。全く同じ態度をとるべきことについて、本来ロジックが適用できないはずのファクターを元に違う尺度を当てはめる、つまりですね、態度が真摯じゃないよね、という問題についてのみダブスタ批判ってのができるんだと思うんだよな。

https://nov1975.hatenablog.com/entry/20150424/p1

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ダブルスタンダードを気にしない生き方

最近のネット上のやりとりを見ていると、ダブルスタンダードであることを全く恥ずかしくないと思っている人たちが増えているように感じる。ダブルスタンダードであることを指摘しても、別に全然気にしていないというか、そもそも何が悪いのかもよく分からないといった反応が返ってくることもある。


これまで自分は、自分の主張がダブルスタンダードになることは恥ずかしいものだと思って生きてきたけど、ネット上でダブスタを気にしない人達の発言を見ていると、そちらの方がストレスなく気持ちよく日々を生きられるような気がしている。むしろなぜ自分が今までダブスタであることを極度に恐れていたのかよく分からなくなってきている。別にネット上で論理の破綻を指摘されても気にしなければいいんだよね。論理が破綻していようといまいと現実の生活には何の影響もないわけで、それだったらネット上では論理が破綻していたとしてもただただ自分の思ったことを気持ちよく主張している方が得なんだとようやく気付いた。


ネット上は議論を交わす場所としてはとっくに死んでいる訳で、今や論理や整合性を気にせずに自分が気持ちいいと思うことを垂れ流すほうが正解なんだろう。ネット上でダブスタにならないように気をつけることって、パチンコ屋の中でバカに見られないように哲学書を読んでいることと同じ位滑稽なことなんだね。

https://anond.hatelabo.jp/20170604104438

腐女子でありながら表現規制推進派の人達に見られる無自覚なダブスタ

https://togetter.com/li/1246703
「〇〇を主張する人は、『全ての』〇〇について同様の主張をする必要がある」と言い出す人は多い。そういう人は自分も全称的に行動しているのかと思っていたが、単に自分が言われたときには「観測範囲外」「そんなに興味があるならお前がやれ」(第三者の場合)「お前にもやれだって?甘えんな。俺はお前の保護者ではない」(当事者の場合)と即座に言い返す自身があるだけの模様。


好き嫌いの問題にダブスタもなかろう

「手塚キャラ美少女化がダメでクッパ姫がOKな人なんなの?」な反応に批判 - Togetter]

クッパ姫で散々遊んだくせに、手塚治虫キャラクターの萌え化に文句を垂れるのは矛盾している、ダブスタだとおっしゃられても困るのだ。

好き嫌いの問題にダブスタもへったくれもない。カニは好きなのにエビが嫌いなのは同じ甲殻類なのにダブスタってのは難癖だろう。ならば同じ節足動物である昆虫も食べようって話に広がってしまう。あるいは、じゃがいもでもフライドポテトは好きだがマッシュポテトは苦手だって人もいるだろう。好き嫌いの表明にダブスタを求めても仕方ない。FGOはOKだけどクッパ姫とか女体化がダメって人も観測されたが、好みの問題である。

https://lastline.hatenablog.com/entry/2018/10/22/123552

これは「スタンダード」の問題なので、ダブスタの問題でないかもしれん。ただ、深淵から「権威・伝統のあるもの」「ないもの」というスタンダードが覗いている感が。

ダブスタ小田嶋隆、君の冷笑は「悪い冷笑」僕の冷笑は「良い冷笑」

冷笑はいけないと熱く語る小田嶋隆

https://togetter.com/li/1246807

ナイフみたいに尖って触るものみな傷つけたり盗んだバイクで走り回ったりして自分を守りストレス解消しながらビッグになり財産を築き、そうしたら急に正義と倫理を語り出し「俺を傷つけるな」「俺のバイクを盗むな」って言いだすのは釈然としないものがある。

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