罪とかなんとか

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20070525/1180065276

いつもいつも自分が独善的でないかどうかを考えながら生きていくのは、一種の病的な状態だ。過度に道徳的であることは道徳に反する。人間、たまには羽目を外すことも必要だ。


しかし、ある程度の独善は自分自身に対して許容すべきことなのだとしても、いったいどこまで許していいのかがよくわからない。これもまた悩ましい問題だ。

 フレーム問題。
 憲法と法律と条例と内規と、そういう階層に分けて、時折上位概念にあたる部分を参照し、改変する、でいいとおもう。
 法律だから、規則だから、こうなっているから、と、枠が変更しうることを想像の枠外に押しやることは、思考の節約になって便利。法の遵守こそが法の権威を確保している、みたいな自己撞着論法を組み合わせるのもよし。さらに、あなたは規則を守るべき。私は、羽目を外すことも必要だ。と、ダブルスタンダードを組み合わせるとさらによし。ダブスタの論拠は、ブログを探せばいろいろ見つかるので引用すると便利。
 独善か、そうでないかは、その人個人内での、ポリシー変更の手順を公表すればいいかと思う。住民の発案。議員の発案。議員の2/3の提議で審議。



 …と、文字列を打ってきたけどそろそろ飽きてきた。俺は独善で文字列を打つ。非難があるなら、独善と独善で無い、境界線を示せ。と不良少女白書なオチをタイプしておこう。