自動車のたとえ

総理大臣っていうのは、自動車の運転手みたいなもんだ。
昔と違い、自動車の運転手の責任は上がり、「こすったら運転手の責任」「ぶつけられて、乗員が車外放出されたら、シートベルトを着用させなかった運転手の責任」「反対車線を走ってきた居眠り運転の車を避けられないのは運転手の過失」という時代になっている。時折、マスコミの記事になるように、「頭の良い奴は運転しない」のだ。


一方、野党やリベラル、左翼は、「運転しなければ事故は起きない」「俺らはブレーキを踏むのが仕事」と主張。そりゃまそうなんだけどね。
明治・大正の庶民なら、暮らしは自宅の周辺数キロメートルで完結し、自動車なんか不要だったかもしれないけれど、現代だと、「事故が危ないから、自動車に乗らず徒歩で生活しよう」って人より、「ちょっとくらい変でも、運転してくれる人」が人気になるんじゃないかと思ってる。今月くらいから、ちょっと風向きが変わってきているけど。


そんで、もし、事故が起きると、「ほーらみたことか。運転しなければ事故は起きない」「ブレーキ踏んでいた俺は正しかった」ってコメントが溢れるんだろうな…