"「ロビンソンのたとえ」

ジョーンズは、ふだんよりも多めにアルコールを飲んだパーティーから帰る途中、ブレーキの調子が悪かった車に乗って、視界が悪いことで有名な見通しのきかない角で、ロビンソンを轢き殺してしまいました。ロビンソンは、その角にあるお店にタバコを買いに行こうとして道を渡っていたのです。

 騒ぎがおさまってから、たとえば地元の警察署あたりに集まって、この事故の原因を調査したとしましょう。それは運転手のほろ酔い状態のせいでしょうか?――その場合、起訴されるかもしれません。あるいは、欠陥のあるブレーキのせいでしょうか?――その場合、わずか一週間前に車をオーバーホールした自動車修理工場に何かいうべきでしょう。あるいは、見通しがきかない角のせいでしょうか?――その場合、道路担当の役所の人を招いて注意を向けさせるほうがいいでしょう。

 さて、わたしたちがこういった実際的な問題について論じているとき、二人の著名な紳士が部屋に乱入してきて、たいへん流暢に説得力ある口調で、こう言ったとします。「もしロビンソンがその晩、たまたまタバコを切らしていなかったら、道を渡ることもなかっただろうし、死ぬこともなかっただろう。つまり、タバコを吸いたいというロビンソンの欲望こそが、その死の原因なのである。そして、この原因を無視する調査はいずれも時間の浪費にしかならないし、そういったものから導かれる結論はいずれも意味がなく、役に立たないのである」と。

http://www.kotono8.com/2009/01/19ifhistory.html

 もう一人の紳士は、言った。
「ジョーンズが産まれてこなければ、事故は起きなかった。そんな原因究明に意味はあるのだろうか」