生死をわけたもの

奥尻町役場は地震を感じてから3分後に、自主的に防災行政無線で避難警報を出しました。その2分後に10メートルの地震が襲ってきたということです。同じ時、気象庁地震津波監視システム(エトス)を動かして、当時としてはかなり早く、地震発生から5分後に津波警報を発令し、NHKが緊急警報放送を2分後に行いました。

それでも地震発生からすでに7分がたっており、奥尻島では停電で、ほとんどの人はテレビを見ることはできませんでした。そしてテレビの警報がでたときは、すでに津波の第一波が到着した2分後でした。

http://www.geocities.jp/specimenlapiz/tunami/tunami-nigeru.html

この北海道南西地震で、とくに大きな被害を受けた奥尻島青苗地区の津波災害について、東京大学社会情報研究所の廣井研究室によって、亡くなった人、助かった人がどのような行動をとったかを調査報告されています。

その報告によると

亡くなった人の大部分は、体が弱っていて走ることが出来無かった人、津波がそんなに早く来るとは思わなかった人、家族全員で逃げようと誰かを待っていた人、動けない家族をおいてゆくことができず家に留まった人、車に家財を積んで逃げ出すのが遅くなった人、まだ大丈夫だと車を取りに行った人、近所に注意を呼びかけ一緒に逃げようとした人、貴重品を取りに家に戻った人、でした。

さらに細かく生存者の話を聞いています。助かった人は、風呂上りにバスタオル一つで逃げた人、財布一つ握って着がえもせずに全速力で走って逃げた人、家財道具はもたずに真っ先に高台に車を走らせた人、でした。

 うーん。「バカはいない」「皆、バカなことはせずに避難所へ向かう」ことを徹底し、互いに信頼できればいいのだけれど。