効用理論

正直言って、僕は「自分の買いたい物が1個だけなんだから先にこっち処理してくれればいいのに」と思うことはたまにある(家賃の振り込みのためにATMに並んだら前の人が何件も振り込みしててその後ろにどんどん列が伸びていく、という時によく思う)し、あるいは自分が大量の買い物をしようとしている時に1個の物だけ買おうとして急いでる人がいたら、その人の分だけ先に処理してあげられないということに微妙に罪悪感を覚える。ボトルネックのせいで全体の処理が遅れてる、という状態に何とも言えない居心地の悪さと「この状況を解決したい」欲を感じる。


でもそう考えるのって世間的には「学が無くて」「社会のシステムに合わせることができない」「我慢のできない」「マナーの悪い」考え方とみなされるのか。ということに驚いたと同時にガッカリした。

http://piro.sakura.ne.jp/latest/blosxom/topics/2009-08-24_junban.htm

 「お先に」と言う場合もあるし、言われる場合もある。


 この、効用を測定するのは難しい。どこかのブログかなにかで、今にも死にそうな患者の処置をしている最中、「そんなのはどうだっていいからこっちの風邪を診察しろ」と怒鳴られた話を見た覚えがある。病院だと、重態な人は自分が重態だから優先されるべき、痛い人は痛いから優先されるべき、子供は小さいから優先されるべき、老人は年老いているから優先されるべき、軽症な人は軽いから直ぐに治療を終えて仕事に復帰したいので優先されるべき、偉い人は自分が偉いから優先されるべき、予約を取っている人は、予約を取っているから優先されるべき、朝から並んでいるひとは、こんなに並んでいるのだから優先されるべき、と、皆思っているだろう。そこで、重症度で行列を整理すると(略