医学的あるいは道義的な道理 と言うのは簡単ですが、誰が、どのように道理とやらを規定し、個々の事例で状況判断を行うか、優先順位を決定するか、社会のコンセンサスを得る事は不可能です。medtoolz先生の道理と、私が考える道理、はたまた受診者の道理が同じ保証はありません。そのため、共産主義とも言うべき、皆保険制度下では、おっしゃるとおり、リソースの供給が厳しくなればなるほど、配分は声の大きさとか、動員できる政治力で決められるわけで、それは、旧ソ連とまったく同じ構図です。
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/04/post_476.html
老人は、老いているために、優先順位があると思っている。
子供は、幼いために、優先順位があると思っている。
壮年は、稼いでいるために、優先順位があると思っている。
急病人は、急なために、優先順位があると思っている。
慢性の症状を抱えているひとは、慢性の経過に我慢できないために、優先順位があると思っている。
軽症の人は、軽い病気をさっさと見てもらって日常に戻るために、優先順位があると思っている。
お偉いさんは、偉いがために、優先順位があると思っている。
関係者は、知りあいがいるために、優先順位があると思っている。
紹介患者は、紹介されために、優先順位があると思っている。
予約患者は、予約したために、優先順位があると思っている。
飛び入りの患者は、待っているがために、優先順位があると思っている。
かくして、待合室では留保の無い生の肯定を唱える大合唱が今日も聞こえるのだ。
デカルト!