論理と感情の話

http://fragments.g.hatena.ne.jp/bluesy-k/20070705/p3
 言葉の再定義合戦な気もするけど、まあいいか。
 論理、もっと言えば科学は「価値判断」、さらにいえば「判断」しないし、ある事象についての瞬間的な生理学的「価値判断」こそが感情だ。
 論理は、ジャングルは地獄論理、不良少女白書論理、なども含みそうなので、科学という言葉を使おう。科学は、見積もるけど判断はしない。こういう動物は、この環境下では生存が難しいですよ。このエンジン形式は、燃費がこの位ですよ。
 そこから先の「重み付け」については、(狭い意味での)科学の出番ではない。長期間の期間*1に渡って、妥当なリスク評価*2を行い、そして、構成員の大部分に受け入れられる重み付けを行う、さらに、それを言語で説明できる人が論理的な人、と呼ばれるのだろう。ちょっと言い方を変えると、「感情」には、マスロー的な階層があり、どの階層の感情が実施されるか、という観測の問題かもしれない。


論理的ではない話

http://fragments.g.hatena.ne.jp/keijis/20070705/p2
 自動車を選ぶとき、「馬力」「0−400m」「価格と値引率」だけで選ぶのは論理的だろうか。それとも、非論理的だろうか。カタログ馬力と、体感馬力が同一ではなかったりするけど、馬力という言葉はアレだけど、どちらを優先するほうが論理的だろうか。まあ、レトリカルな話か。

なんか話す

 それらしいことを、色々話すが、結局、あいつと俺とお前の順位闘争でしか無いので泣ける。
 細かなロジック、言った言わない、誰のため彼のため、という事を穏やかに話すが、

  • アイツが動かないのは、アイツを動かさないお前の所為
  • 「俺」が動かないのは、「俺」の所為
  • アイツは偉いから、私はアイツに配慮する。
  • 「俺」は偉くないから、「俺」は私に配慮しろ。

 それを確認する。
 もちろん、「俺」が、アイツを動かせるようになれば、序列が上がるのだろうけどね。

局所最適と、全体という名の、ちょっと広い局所最適

 原爆がどうのこうの言って、辞任した話があった。
 ある人間が、銃で撃たれて被害にあった。何故だ。という問いに、引き金を引いたからには弾が出るに決まっている。当たり前だ。と答えるような話か。「広島・長崎」という枠での話をしているところに、「日本(大日本帝国?)」という枠、アメリカ合衆国という枠、連合国と枢軸国という枠、を持ち出されても、違和感を感じる人は、それは多いだろうな。
 軍事的には、純軍事的には、という場合、日本という枠で、しかも現在からある程度長いスパンでの枠になるが、「広島・長崎」という枠が無くなるわけではない。
 衛星軌道あたりから考えてみると、「広島・長崎」という枠は、「日本」という枠で緩和し、その上で「日本」対「アメリカ合衆国」という対比になるべきだとは思う。いや、アメリカはそう考えているのかな。国際政治的には、日本は「戦争加害、戦争被害」を精算し、その上で再出発したことになっているらしいけど。


便利なラベル

 説明責任、というのは便利なラベルだな。
 「俺はお前に1円渡す。お前は運用して5日で1万円返せ。受託しないなら、できない理由を『俺が納得するまで』きちんと説明しろ」
 警察に首根っこをつかまれて放り出されない限り、相手の職務はストップするだろうな…

*1:RR?

*2:これがむずかしいのだけれど