なお、このパブリック・フォーラム論が補足意見として述べられた事件の概要は、「駅舎内で駅員の制止を振り切って、ビラを配布し、拡声器で演説をした者に対し、鉄道営業法35条および刑法130条後段の規定により起訴がされた」というものだったのですが、
判例は、http://blog.livedoor.jp/houtekisikou2007/archives/54324607.html「憲法21条1項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであつて、たとえ思想を外部に発表するための手段であつても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは許されないといわなければならない(末尾略)
この点につき、伊藤元最高裁判事は、最判昭和59.12.18において、補足意見として、アメリカの判例理論であるパブリック・フォーラム論に基づいたと思われる考え方を次のように述べています。
http://blog.livedoor.jp/houtekisikou2007/archives/54324607.html「 ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の場を確保することが重要な意味をもつている。
特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現のための物理的な場所が必要となつてくる。この場所が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといつてもよい。
一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを「パブリツク・フオーラム」と呼ぶことができよう。
このパブリツク・フオーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。」
表現の自由は保障されている。しかし、他者の財産権・管理権の制約を受ける。だが、表現の場の確保のために公共財は所有権・管理権に制約を受けざるを得ない。という武道演舞。