「労働価値説@マルクス」の話を眺めた。

 まず、「価値@広い意味」が、対象に、アプリオリに存在する、という説は取らない。対象の価値は、評価する規範=社会があって、初めて出現すると考えている。で、リソース投入、一般的には労働力の投下により、アプリオリに価値は出現する(べき?/はず?)。というのが、マルクス的な考え方だと思っている*1
 たぶん、このへんは、スタティックな社会、つまり生産設備や生産技術が一定で、しかも供給が需要を(大きく)下回る社会においては、プロダクトの生産量は(人的)リソース量に比例する。生産量と出荷額は比例しないが、それは、経済システムが悪いので、山積みされた粗鋼に価値が無いわけではない、と考えたい、という話だと理解している。


 一定の環境の元では、投入リソースに比例して、プロダクトが増大する。ただ、それが、価値や成果に結びつくかどうかは別問題だったりするのが寂しいところである。