釣堀

htt://d.hatena.ne.jp/amai_oyatsu/20051002

それから,わたしは反喫煙の方々が「タバコのないキレイな世界を!」と理想を掲げて喫煙者の消滅による「美しい」世界の構築にまい進しているような感じで,世界を変えたいと思っているわけではありませんしね.あちこちから追い出されて,隅でタバコを吸いながら,「喫煙者の次のターゲットはあなたたちだよ」と思ってるだけです.

 ドミノ理論。一つ倒れると、その隣が倒れ、そしてどんどん倒れていくという論理展開。言及するのもアレだけど、たいがい途中で止まる。服装のちょっとした乱れが不良化の、とか、ベトナムが共産化すると、次は、とか。

「嗜好品の問題点と・・・」.健康に害を与えるという点では,その程度は違うと思いますが,タバコも労働も車も同じだと思うので「同列で語る」ことに無理はないと思いますが,どうでしょうか?あと,「健康が大事」と言っておきながら,長時間労働や車についてはどれほど人が死のうが利益を上げるのだから構わないという理由で聖域扱いされている現状を考えれば,こうした要因について強調する必要があると思います.

 労働時間も、排気ガスも規制があり、聖域ではない。健康に害を与えるという点では、殺人も同じであるが、自動車事故や自殺に比べてリスクは少ない。だから放置されているわけではなく、多量のリソースが投入されている。それは、社会が脅威と判断したからであり、別に論理的に不思議な出来事ではない。
 社会的な有用度や脅威に基づいてリスク管理は行われ、それは個々の事情でなく集団としての事情で行われる。重み付けが、100じゃなければ0、0でなければ100、0でも100でもなければ50:50、という論理展開はヘンだろう。

わたしは「タバコはよくないですよ」と啓蒙することに反対しているのではなく,バランスが取れていないことを問題にしているのです.

 バランス、とコメントしていたけれど、バランスは幅の広い言葉だ。一人頭100万円徴収するのがバランスのとれた徴税なのか?所得に定率なのがバランスのとれた徴税なのか?担税力に比例させるのがバランスなのか?バランスという言葉の問題。