規範的な言葉と記述的な言葉

http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20070608/p4

1. 事実に反する罵倒
2. 事実に基づく罵倒
3. 単なる事実の指摘

 罵倒、は、国語辞書的に定義できる、記述的な言葉ですが、単なる、というのは、多分に価値判断を含んだ言葉です。
 自分にとっては「単なる」でも、他人にとっては「単なる」で無かったりします。
 客観的に、事実と思われるテキストであっても、何故その事実に着目したか、という意図を考える場合、「単なる」という形容がふさわしくない場合もあります。
 いつも思うけれど、文章の前半に規範的な単語を並べる人がいますが、彼らは、その形容が「単なる事実」と疑わないのかな、その形容が読者との間で共有されていることを信じて疑わないのかな、と思っています。


 そういうわけで、

なぜ「はてぶ」のhotentryに入ってもたいしてアクセスないのか。

http://www.yukawanet.com/byozine/log/2007/06/hotentry.html

 というエントリーも、「たいして〜ない」という、ネガティブな価値判断を伴う表現が、強い反応を引き起こしていたのかな、と思っています。

ジャングルは地獄

「単なる」を取ると逆に「事実の指摘は人によっては「余計なお世話・侮辱」に取られる」的な議論ができそうな気も。規範的な言葉はあることだけじゃなくて、無いことでも意味を持ったりして難しいですね。

http://b.hatena.ne.jp/NOV1975/20070609#bookmark-4950597

 「単なる」、をつけると「その事実は、微細なものではなく、重大なものだ」と反論を受け、「単なる」を取ると、「微細なものと認知していない事実を指摘するのは余計なお世話・侮辱だ」、と反論されるのは、ジャングルは地獄状態ですね。長い文字列をタイプすると疲れるので、必要に応じてプロセスを説明できるよう準備しておきたいものです。