しかし、「犯罪不安」と「犯罪リスク知覚」というのは、一致しないことがありえる、というかしなくて当たり前なんだよね。(自分じゃなくて)誰かが犯罪にあうかも、そんな不安に突き動かされて、みんな生きてるわけだ。ここでも問題になるのは、ぼくはそうは思っていないけれども「みんな」はそう思っている、というふうなシニカリズムだ。言ってみれば、さっきのプチ啓蒙人の言ってることも、『ぼくはそうは思っていないけれども「みんな」はそう思っている』シニカリズムだろう。そんな風に、自分たちも馬鹿な野蛮人としてみてる人と同じロジックを共有してるのも気づかないで、偉そうに上から物を話してる馬鹿がぼくは見るに堪えないね。ぼくは馬鹿が嫌いなんだよ。
http://d.hatena.ne.jp/gerling/20080207/1202404922
認知トラブルというのはよくあって、オタクが、一年に何件か犯罪を犯すと、オタク撲滅な言説が出てくる。
タバコで、世界で数百万人が死ぬ!とか報道があっても*1、「俺は生きている」みたいな言説が出てくる。
そういうわけで、リスクにはリスク管理を。危険(=Danger)は除去を。認知トラブルには認知の改善を。そんな感じ。○○(=任意の何か)は、危険ではなく、リスクでもない単なる認知トラブルであるが、怖いと思うから危険と同義である、と、私はタイプできるが、あまり意味のある文字列ではないな。