意図と構築と評価

 と、半行書いただけで疲れた。良く皆、長文を書けるな、と感心してしまう。
 ファッションの、ファッションに限らず、設計意図と、実装・実現されたもの、そして、その動作や評価に乖離があることは、珍しい事ではないと思う。特に、山手線の西側の駅付近(特に、私鉄の拠点となっている駅)付近での若者の服飾の場合、特段の政治的メッセージや、不特定多数の異性の誘惑、ある種の人間の誹謗中傷という企図はなく、よりよい構築の実現、また、単に同族との差異化、程度の意図しかないと思われる。ただ、その結果として、階層分化の拡大、性欲の刺激、という現象を引き起こすということも、ありそうな話だとは思う。
 意図は脳内にしかなく、評価は評価母体の選択によって異なるため、構築というか構造というか現象というか実装を観察し、それとともに意図や評価を記述し、推測していくというのがいいかもと思うけど、藁人形のロボットバトルも観戦する分には面白い。


 …と思ったけど、良く出来た釣りなのかな。