高校生には理解しない/できない/する必要が無い/話

 昨日の話。
 高校生が大きくなって、リーダーになるとしたら、上司/クライアント/から、要求を出され、それを実現するために、部下を指導/教育/する必要がでてくる。PC/ケイタイというのは、一つの事例で、将来への不安/自己投資リスク/から、自己変革を拒む人間にどう対峙するか、という話が一つ。
 あと、これは、運動部など、体育会系であれば、いや、俺違うけど、チーム運営は常識だと思うが、ただ、動物がポストモダン現代社会だと、脈々と受け継がれた暗黙知を継承、というわけにはいかなそう。

農水相の話

http://www.asahi.com/politics/update/0710/TKY200707100162.html
「私は単にもう自分のなかで色褪せてしまった領収書やつまらないと感じた領収書や家族との揉め事の要因になりうる領収書を非公開にしているだけだ」
と表明すると格好いいかも。
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原則的な話

 原則的な話で言えば、エントリーの改変、削除は自由だと思う。
 ただ、改変・削除について評価されるのも仕方がないとおもう。


 他人を「アホ」「クズ」と呼ぶと、発言者の資質も問われる。問われた結果、発言者が支持される場合もあるし、されない場合もある。
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客観的な話

 大原則、中原則、小原則と、一致させていけば、概ね「客観的」な議論ができる。
 サイエンスなんかがそう。
 現代思想だと、お互い論文を見ながら、あなたの見ている論文と、私の見ている論文は、はたして同じものなのだろうか、と永遠に議論しているのかしら。