有能な魔女狩り検察官

 仮に、その200円がないために、アフガニスタンの家族がその1日を生き延びられず、死んだとしよう。すると、事実として「間接的ではあろうが、私は人殺しである」と言えよう。

http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070409/1176086019
http://d.hatena.ne.jp/ymd-y/20070412#1176389955

 文字列の作成氏は、魔女狩りスターリン毛沢東ポルポトの粛清屋になると大成していたと思う。時代を間違えて残念だったかも。
 交通事故で人が死ぬ。運転手のみならず、整備士、運行管理者、雇用者も人殺し扱いにできる。車が無ければ人は死ななかった。あなたは、間接的ではあろうが、人殺しだ。殺人者に、包丁を売ったスーパーの店員、殺人者を運んだタクシー運転手。文字列作成氏の手元には、山のような訴追リストが出来上がる。なんでスターリン毛沢東ポルポトがあんなに大勢の人間を粛清したのか不思議だったけど、わかるような気がする。因果関係の拡大解釈なのね。ファシストに徴税された住民は、ファシスト。その200円がファシストの銃弾になり、リベラルな兵士を殺傷した。間接的ではあろうが、お前はファシストだ。さすがリベラルロジック。



 さて、冗談はともかく、日本の法律では、殺意の有無が「殺人」の認定に重要な役割を果たしている。んじゃないかな。多分、世界的にみてもそう。交通事故と、計画的な殺人、あと殴ったら死んじゃった場合、子供や老人の介護放棄、あと戦闘中の敵兵の殺害と、捕虜として確定した敵兵の殺害、こういうのは区別されている。もし、ある人に、アフガニスタンに扶養義務のある家族がいて、200円を送金しなかったために生き延びられなかったとしたら、私はその人を保護者何とかかんとか、と言って非難するかもしれない。もし、そんな義務の無い人が、募金箱の前を素通りしオヤツを買ったとして、私は非難する必要を認めないな。