http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20070404/p1
責任とか権利とか義務とか、アプリオリにあるものじゃなくて、社会とかなんとかが「設定」するものである、と考えるといいかと思う。
その「設定」は、社会の明示的暗示的法的慣習的黙示的宗教的道徳的になされてきた。私が大好きで、正確に言うと私が好きなんじゃなくて、そういう見解がすきなんだけど、市場原理や進化論的に、著しく不合理な「設定」は廃れるか、社会ごと廃れたと思う。
仮に、話をすると、屋根から大工が落ちるのは、昔であれば自己責任で、今は落ちるような環境で働かせた雇用主の責任、と設定されている。らしい。放課後、学校の校庭で子供が怪我をすると、昔は子供および親の自己責任であった、というかそれが当然なので、自己責任という言葉も無かったのだろう。今は、校庭を開放していれば、学校に管理義務があるので学校の責任。校庭を開放していなければ、子供が侵入したのは管理の不行き届きだから学校の責任。留保の無い生の校庭を!
今の世の中、ちょっと触っただけで、何とか権かんとか権が発生してしまう。何とか権とは、簡単に言うと支払い義務で、確率的な支払い義務には引当金が必要で、しかし引当金分+αの支払いは期待できない。
もし、私が校長で、政府が月給1000万円くれるなら、お小遣いから監視人を雇い、保険に入り、放課後の校庭を子供の為に開放するけど、そうでなければ、放課後の校庭は自己責任で。というのが精々かな。紛争地域への、お出掛けも、ちゃんと保険に入るならともかく*1、そうでなければ自己責任で、という感じ。
あ、また安い魚モードだ。
PCを修理したらデータが飛んだ→バックアップは自己責任です→「自己責任という言葉を蔓延させる前にトップがやることは、「俺が責任を取る」ということではないだろうか。」社長を出せ!
煙草を吸っていたら肺がんになった→禁煙を指示しました。喫煙は自己責任です→「自己責任という言葉を蔓延させる前にトップがやることは、「俺が責任を取る」ということではないだろうか。」院長を出せ!
ベンチで転んだら草が頭に刺さった→公園での管理は親の自己責任です→「自己責任という言葉を蔓延させる前にトップがやることは、「俺が責任を取る」ということではないだろうか。」市長を出せ!
焼肉定食を食べたが、刺身定食のほうが美味そう→メニューの選択は自己責任です→「自己責任という言葉を蔓延させる前にトップがやることは、「俺が責任を取る」ということではないだろうか。」
メニューは自己責任で」と言った場合、その選択を個人に委ねる行為は社会あるいは料理人が責任を果たした上でやむなく行われたものなのかどうか。つまり、「責任を取れない」ものなのかどうか。
料理長を出せ!
*1:保険に入れてくれない、というのは理由にならないと思う。支払い額の90%も払えば保険かけてくれるとおもうよ