「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を言い出した人間が、それを言うな、というツッコミは予想通り。で、軽く流れてガス抜きに。
色々な切り口ができるだろうけど、共有地の悲劇、という見方をしておく。
100人の村で、パンを100個焼く。みんな、一個ずつ食べる。
それが、パンを3つも4つも食べる人が現れた。一人でも現れると、自分の分が無くなる恐怖から人が殺到する。
イジメは、符号を逆にしたものと解釈してもらっていいかも。
昔だと、村八分になったけれど、イマなら、
「食べられなかった側にも問題がある」みたいに弁護してくれる人もいるし、全体のパンを増やすことが望ましい、と遠大な解決法を提案する人もいるし、留保の無いパンの肯定を、とデカルトな人もいるし、みんな*1パンまっしぐらになる。昔はムラ*2の拘束が効いていたし、成長期には「明日になれば、もっとパンの数が増えるかも」と思えばちょっとくらいの不具合には耐えられたし、すくなくともカリスマ首相がいれば、「構造改革が成功すれば、パンが増えるかも」と錯覚してくれたかもしれない。で、共同体の拘束は無くなり、未来に期待が持てないイマでは、パンに殺到する人間を整理するには、洗脳と強制力の行使しかない、そんな時代なんじゃないカナ。