「涼宮ハルヒの憂鬱」第9話に見る、シリーズ構成の意図

http://fujimaki.air-nifty.com/mousou/cat5851709/index.html(妄想界の住人は生きている。)

 このアニメシリーズを全14話として見た場合、今回は超監督言うところの第14話で、シリーズの最終回という位置づけになります。
 でも、実際にその「第14話」を見てみて、このシリーズ構成の意図がまた少し見えたような気がします。
 今回を「最終回」と言うならば、最終回が二つあることになるんですね。
 ハルヒが言うところの最終回(今回)と、シリーズそのものが終わる最終回(もう数回後)と。
 そのことで言うと、今回は「キョンにとっての最終回」という見方ができるのかもしれません。

 つまり、時系列順で見た場合「キョンの物語」になって、シリーズ構成順で見た場合「ハルヒの物語」になる、ということですね。

 すばらしい文章。単なる祭りでない、製作意図があるということなのね。ハルヒ長門や、鶴屋さんや古泉や妹や、あと、えっと、シャミセンなんかに目を奪われがちだけど、「キョンの物語」も忘れてはいけない、のだった。



 ちなみに、京アニだとこういう言葉遣いをするそうなので、構成話数と放映話数を別個に扱うときには参考に。

京アニスタッフは便宜上、構成話数で呼ぶように統一しているんにゃが、放送が始まってからは、放送話数で呼ぶスタッフも出始めていて黒ねこマンは大混乱にゃ!!--http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/diary/05_20.html

追記:
http://d.hatena.ne.jp/Youth-K/20060530#p1

昨日、この話数の鍵は映像における過剰と省略にあるような気がすると書きました。

では、アッカンベーという行為の演出上の真意とは何でしょうか。