"漫画の長篇志向のもう一つの弊害 フリとオチの不均衡問題"

http://d.hatena.ne.jp/karimikarimi/20140529/1401362038


立ちはだかる四天王、魔王を倒す為に必要な「聖なる石」、捕らえられた両親、生き別れた妹…
沢山の「フリ」に一気にオチをつけたマンガがこちら
http://www.geocities.jp/ricewood_mk2/yamato.html




さて、このフリとオチ、一話完結型だと不均衡問題は生じないが、しかし長い連載も何時か終わる日が来る。よくあるのは使徒再生、じゃなくて死と再生パターンで、主人公もしくは重要なサブキャラとの別離、その中断って奴。「作品世界」「キャラクターの存在」それ自体をフリと見るわけだな。こち亀なんかはこのパターンになる予感。一方、涼宮ハルヒの憂鬱、1巻では「ハルヒと出会い混乱するキョン(もしくは、キョンと出会い混乱するハルヒ)」というフリに対して、一定のオチをつけて回収をみたが、"特異性のある「涼宮ハルヒ」というキャラ"というフリに対してはオチる気配はない。"終わりを迎える日まで"でも流しながら、日常に回帰したn年後のハルヒでも描けばいいんだけど、望む人はあまりいそうにない。ワンピは… あんだけ持ち上げたゴールド・ロジャーの宝次第だろ。宝箱に「いままでの冒険こそが宝じゃ」って紙片が入っていたら読者は死ぬ。