"捕鯨問題において日本は国際社会のルールが変わった事を認識すべきである "

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日本人はよく「イギリス人やアメリカ人だって昔は捕鯨していたじゃないか」と言って捕鯨を正当化しようとするが、それは無駄な努力である。ルールは変わってしまったのだ。似たような話として、昔は欧米各国も植民地支配でひどいことをしていたが、第一次大戦を境にルールが変わり始め、それに気づかず昔のルールのバスに飛び乗ろうとした日本は、梯子を外され、第二次大戦でババを引かされた、という歴史がある。捕鯨もそれと同じである。日本は昔から国際社会のルールの変化に疎い。

 いや、アイツらのやり口は、「これが世界のルールです」とチップを買わせて、買ったところで「今日からこのチップは使えなくなりました。これが時代の潮流です」とチャラにする。で、新しいルールを信じさせるために、芸術兵器や文化兵器を投入してくるのだ。環境環境言いやがって。いま、自動車メーカーに極限的な燃費規制をやらせたら(たとえば、20km/lの燃費規制とか)、トヨタ(と、もしかしたらホンダ、もしかしたらSMART)くらいしか生き残らないだろうけど、そんなことはやらないのだアイツらは。F1のターボとか、WRCの4駆+ターボとか、スキーのVジャンプとか、日本が有利になると、ルール変更を仕掛けてくる*1。そして、高尚なルールの恣意的適用がうまい。中世は宗教の、近代は文化の、お題目を唱えてやりたい放題やってきた。
 それに対抗するには、日本の、そしてアジアのルールで対抗するしかないのだが、「日本のルールなんかより、西欧ルールのがいいや」という現状になったのは、日本の不徳というしかないなこりゃ。

 

*1:という表現はフェアじゃないのだが