http://www.banana-fish.com/~piro/20060129.html#p01

個人の趣味の範囲で何が好きで、何が嫌いだろうと勝手じゃん。エロゲ好きのヲタも、エロゲヲタ嫌いの良識人もどっちも存在して結構。でも、どっちの趣味にもアプリオリに与えられた権利なんつーものが存在するとは思わない。自由や権利は「公共の福祉に反しない限り」認められるってのは、要するに社会の多数派に気に入られない自由や権利は認められないってことだろ?ていうか、それ以外にどんな形で自由や権利が本当に保障されうるのだ?

 自分の考えとだいたい同じ。多数派による支持のない、少数意見には「実効力」がない。でも、「少数意見の尊重」を、多数派に認めさせることは可能とは思う。

追記:

しかし、具体的な意見xが与えられてしまうと、具体的な快・不快、支持・不支持、そして利害関係の評価が可能になるので、それらと「少数意見の尊重」というメタルールによる評価を天秤にかけてみて、メタルールによる評価が却下されてしまえば「尊重しない」ということになるだろう。メタルールが上位の規則として常に優先するわけではない。それが「公共の福祉の範囲内で」という但し書きの意味だと思う。「少数意見を尊重する」というのは、あくまでデフォルト・ルールだ。

 当方の「公共の福祉の範囲内で」という但し書きの読み方、及びコメントのつけ方が良くなかったかな?上の引用内には完全に同意。

アプリオリの権利は存在しない。
・少数派の権利は、少数派の多数派工作や、メタルールの尊重、といった経路を通じて実現を図ればいいんじゃないかな。


というのがこちらの持論で、それに似た表現なので引用させて頂いた。
メタルールと、多数派の意見の調整といえば、ポルノ禁止→チャタレイ裁判→四畳半→Yellows→ヘア解禁→ソフ倫「自主規制」→都条例による、ポルノ雑誌の販売規制、という歴史は面白い。国家レベルでのポルノ規制には建前上限界があるため、自治体の条例、そしてメーカーの自主規制によって辻褄を合わせているという。