議論の練習について

"マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ"

あたしが小学5〜6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。

http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20120117/p1

"一番悲惨なのは頭の悪い少数派"

 id_angmar氏(あらかじめ断っておくが、このブログで『id_』と書く場合ははてなユーザを指す)とかがいつものように冷や水を浴びせるようなブックマークコメントを書いていて、ある意味安心するのだけど、逆に彼同様驚いたのがid_gingin1234氏のコメント。

一見良さそうに思うけど、これはこれで「自分の意見を咀嚼して表現する能力」が劣ってる人間の意志は無視してるってことにならんか? 「自分が好きだから」というのも(味方は増えんだろうが)意見には違いない。

(リンクを避けるため、":"を"_"に改変)



両方を眺めたけど、やはり「マツダ先生(仮名)は素晴らしい先生であり、生徒の意見を誘導し、適切な方向へ議論を導いたに違いない。自分を表現する能力に欠ける生徒の意思も、きっと、上手く言語化させる方向に指導したろう」と、楽観的な解釈をしておく。