林檎の木の話:続き

畜生。オン書きしていたら消えた。どうもオンラインは信用できない。
http://pcweb.mycom.co.jp/column/itshihonron/025/
via
http://blog.goo.ne.jp/kamimagi

現実的な世界では、比較的明確に「地上の木」と「地下の根茎」とを区別している。人は明らかに地上の果実や幹を価値物(資源)として捉える。ただ、農業者は地上の果実をより大きく育てるためには、地下の根茎に関する正しい認識と知識が重要であるとみる。しかし一般の人はこのことについてほとんど理解がおよばない。企業に関して言えば、優れた企業家は下部の重要性を十分承知しているが、大半の消費者は目に見える業績や商品のみに目を奪われがちである。

 そう。こういう文章が書けたらいいなと思う。この文章も一つの「果実」であり、どっかからコピーして貼るのは簡単だけど、自分で育てて結実させる為には、幹であり根が必要なのだ。自分の幹と根からはこういう果実が取れない。
 で、肥沃な土壌と枯れた土壌があって、いい土壌からはいい木が生え、そこを農家は柵で囲い、と、格差社会的なことも考えたけれど、それは別の話。


http://homepage1.nifty.com/maname/

ブログには「追いかけるもの」と「ついてくるもの」があります。
前者はビジョンで。後者はアクセス数です。
読者はブロガーの追いかけるものとその姿勢に共感して、
彼のブログを読みたい!と思うわけです。

 この界隈では、林檎の木はビジョン、という言葉になるのかな。





http://d.hatena.ne.jp/kiwofusi/20051116/p1
via
http://homepage1.nifty.com/maname/

ニュースサイトの運営者どもは毎日毎日あほかというほどに情報を扱いこなしている。でも昔のことは覚えていない。「紹介したすべての記事(内容)を覚えている」ニュースサイト(というか運営者)は独創的である。形に表れないから意味がない? 形だけあっても意味がない。

では、そのような独創的ニュースサイトをつくるにはどうすればよいか。要約や復習などに努めて覚える努力をするというのが正攻法だ。しかしもっと簡単な方法がある。覚えられそうにない情報を削除することだ。そうして日々失われていくニュースサイトこそが、何も失わずにいられるのだ。

 林檎農家は、林檎を倉庫に積むのが仕事じゃなくって、食べた林檎は肥料にして、根と幹を育てるのが仕事なんだと思う。で、林檎屋さんは、やはり林檎を食べて倉庫に積むのが仕事なんじゃなくて、林檎を食べる客の顔と、林檎農家の顔を見るのが仕事なんじゃないかな。一切れ齧って、美味いから店に並べよう。あ、微妙だからやめようか。でも、他の店に並んだから並べてみよう。ふーん。こういう味が人気なのか。で、客は、あの店に並んだ林檎だから食べてみようか。


http://blog.livedoor.jp/kangaenai/archives/50119823.html
via
http://homepage1.nifty.com/maname/

アクセスが多いのって、そんなに楽しいですか?

……などと批判的な文章を書いたらアクセス数が増えるんじゃないかと今から楽しみ(←墓穴)。

 ただ単にアクセスを増やすのなら、2chの海(特にVIP湾)で定置網を張るのがお勧め。魚問屋をみつければ、カウンターが見る見る回る。 

 漁師には漁師の楽しみ、流通には流通の楽しみ、林檎農家には林檎農家の楽しみ、で、消費者には消費者の楽しみがある、ということでいいんじゃないかな。