西武新宿戦線異状なし。筑波上空敵機なし。

ちなみに「西武新宿戦線異状なし」自体は大きな物語の交錯の中に主人公たちが放り込まれて右往左往する話なのですが、彼らはそうしたものからの自由、野良犬であることを選択し続ける。あるいはある大きな物語を「選択しない」ことを選択し続けるといっても良い。例外は主人公のセイガクだけなんですが、彼もまた「大きな物語」へ決定的に参入しようとはせず、結局は一種のニヒリスティックな外部の存在であることを選択するのです。社会復帰してなお、彼の持つ「外部」の視座。その視座から回想される物語全般における「大きな物語」の徹底的な回避。追いかけるものといえば女のケツ。この物語をある種の「セカイ系」に対する回答として読んでみると、存外面白いかもだ、とか思いましたがそれはさておいて。

 「日常」という無物語に耐えられず、大きな物語を志向したセイガクは、大きな物語の虚構性を知り、日常へ回帰した。行って帰ってきた、ジュブナイルともいえるのかも。ただ、あの時代には、まだ、回帰できる中くらいな物語*1、高校で勉強して大学でサークル活動をやって彼女を作って就職試験を受けて商社か食品メーカーにでも勤めて、やはり西部新宿線の田無のあたりにマンションでも買って、なんていう物語が残っていたんじゃないかな。
 大きな物語の残滓を担保にとりながら、小さな物語を生きていくというのは新井素子的でアリかもしれない。

*1:こんなことばはありません。自分定義