http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051026
目標を達成するために、(やむをえず)死亡も殺害も厭わず、任務を果たしにいくところ。じゃないかな。
えーと、運転業務を行っている人を、その10トンの質量で歩行者を殺しに行くと評価したり、バイク業務の人を、車輪に轢かれに行っている、と評するのも変な話。
とはいえ、第一次大戦で6割程度が砲撃で死んだ。つまり、銃で殺したり殺されたりする以前に、塹壕で死んだのだ。第二次世界大戦の亡国の死者は、過半数が餓死や戦病死、つまり銃で殺したり殺されたりする前に、補給が途絶えて死んだ。こうなると、何しにいったのかよくわかりませんね。
現代の戦争では、まず、戦略っぽい爆撃機でGPSで誘導されて飛行して、予定通りに爆弾を投下すると、GPSで誘導された爆弾が所定の場所(CEP20mくらいで)に落っこちる。殺しに行くのか殺されにいくのか、何しにいくんでしょうね。
で、いざ相手国が組織的な抵抗をやめ、占領に入る。すると、あっちこっちで爆弾テロが起きる。ステルスもCIWSも複合装甲も無い、ハンビーにボディーアーマー程度だと、簡単に吹っ飛ぶ。やられる方はムカついて、それっぽい人に砂糖菓子ではないFMJを撃ちまくり、撃たれた人はムカついて爆弾を仕掛ける。殺しに行くのか、殺されに行くのかよくわかりません。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051027
兵士が交戦する。兵士が、敵兵士5人を殺したとしよう。殺害者「殺す人」と披殺害者「殺される人」の比率は、この場合、1:5だ。
「殺す人」と「殺される人」の比率は、常に「殺される」人間のほうが多いのだ。
なぜか情緒が先立つと、自分が「殺す側」にカウントされるはずだと前提しがちだが、冷静になれ。仮に殺す側と殺される側の比率が上記1:5だったら、自分が殺される可能性は、殺す可能性に5倍する。
完全に拮抗した時に1:1、それ以外の全ての場合において、「殺される」可能性は「殺す」可能性を上回る。
戦争を「殺す」側で想像するのは、上記の算数ができない知的盲目者のすることだ。少しも難しい話を私はしていない。
しかし敢えて言おう。このごく単純な数式に気づかないで戦争を語っている人は、全てバカか詐欺師である。信用に値しない。
この算数は、まったくわかりません。私は「知的盲目者」で「バカ」で「詐欺師」なのでしょう。
こういう算数より、
http://blue.ribbon.to/~cagami/dansyaku_hontounosensou.shtml
こういう事実を話したほうが「反戦」を教えるにはいいかも。