オーストラリア軍が、日本軍の輸送船を撃沈し、おぼれている日本兵に対して機銃掃射で皆殺ししたり、捕虜としてとった日本兵を飛行機から突き落とした話

まあ、イルカ>クジラ>>>>>>>>>>日本人、な国っぽい。

ワウでいかに50人の日本兵が「追い詰められ、皆殺しにされた」かを戦中の公式刊行物が記録している。[註4]「追討」と「皆殺し」の観念がその時代の雰囲気を支配していた。この観念は、基本的には同じ心を持った敵を戦争の規則によって降伏させるというものではなく、異質な敵の絶滅を求めるものであった。

武装であっても、就眠中であっても、また、病気で臥せっていたり、負傷していても、日本兵なら殺すことが日常的であった。捕虜にすることが公式には求められたが、前線のオーストラリア兵は、前線のアメリカ兵同様、ほとんどそうしようとはしなかった。

http://ajrp.awm.gov.au/ajrp/ajrp2.nsf/Japanese/6A57418018F14FDBCA256BE40007470C#

オーストラリア兵は日本兵を捕虜に取るのをたいへん嫌がった。というのは、日本兵は降伏すると見せかけて隠していた爆発物を起爆させ、人間爆弾になることがあったから

日本人非難の主な原因となったのは、医療施設に対する日本軍の爆撃であり、また日本軍が豪軍の負傷兵や負傷兵を担架で運ぶ運搬人にも情け容赦なく銃弾を浴びせたという事実である。例えば、パプアで敵の飛行機に攻撃されたテント「病室」のことをある豪軍軍医は次のように書いている。

「煙が消えた時、12人(の患者)がまだテント内にいたが、皆死んでいた。…東条の部下の計画的で人間以下の激情に殺されたのである。」[註18]