「弱者」救済の意義

http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20051025#p1
 多様性の維持と、巻き添え墜落の防止、この二点だろう。
 社会環境は変わる。その場合、これまでにない才能が求められるかも、しれない。ので、ある一定範囲において、「現体制にそぐわない人間」を許容することには意義がある、とは思う。もしかしたら、彼らの中に、ビルゲイツとなる人間がいるのかもしれない*1
 あと、社会からの支援が無いと、ヒッキーなNEETを抱えた家庭が崩壊する恐れがある。リスクを家族持ちにするか、税金という形でリスクを分散するか、直撃した時のイヤさ加減を考えると、リスクは分散したほうがいいかなぁ。自分はNEETじゃないから大丈夫、と思っていても、それは祖父の認(以下略)とか親父のウツとか彼女のメンヘルとか息子のNEETという形で現れるかもしれないし。

 オレは社会を支える必要はないが、社会はオレを支えてくれ、という思考は、また別の話。

*1:100年に一人くらいかもしれないけど。また、ゲイツ二人もいたら困ると反MS派は言うかも