専門家を信用しない人間に社会は辛いかもよ


"専門家を信用できない社会は辛すぎる"

長男が赤ん坊だった頃、皮膚病で医者にいってみたら、アトピーだと言われステロイド剤を処方されました。別な医者にいくと「アトピーじゃないから心配ない」と、さらに別な医者では「アトピーかも知れないが、ステロイド剤は要らない」と。

僕は医者が信用できなくなり、大きな本屋に行きました。すると、専門書から民間療法までアトピー本がズラリ。この薬がいいだの、あの温泉がいいだの、なかにはいかにもアヤシイのも混じっています。これじゃ、医者よりもっとずっと全然アテにならない。

http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20061025/1161755157

 アトピーとは何か、聞いてみるといいかもしれない。

 と、書いてきて、釣られたことに気づいた。現在の技術水準で可能なのは、低コスト・高リスクなシステムか、高コスト・低リスクなシステムだ。どれだけ資源を投資すれば、どれだけのリスクが見込める、というのは、科学や論理で推測できるが、どちらを取るか、というのは、国民の価値判断の分野だ。日本は、「高コスト・低リスクなシステム」だったけど、「低コスト・高リスク」な社会に移行しつつある。お金の無いひとは、高リスクを引き受け、お金のある人は、リスクを外注して担保する。この問題への一つの解答が、ここに書かれている、「専門家だから何とかしろ」。
 医師免許、司法試験、だけじゃなくて、レジ打ち免許、保険外交免許、運転免許自転車免許歩行免許、全部専門家にしてしまえば、低コスト、低リスクが実現できるのではないか。アトピー皮膚炎は、医師免許の上に皮膚科免許の上に、アトピー免許を取ってもらおう。ファミレスのレジは、レジ二級、フロアはフロア二級免許が必要だ。もちろん、財産を持つためには財産免許が必要で、プログラムを書く際には、プログラム免許が必要な筈。そうでないと、同じ要求に違うコードがかかれて、顧客が信用できなくなるかもしれないしね。