http://d.hatena.ne.jp/chunyan/20050707/1120755365#c
が、ここから脱出するもう一つの方向性として、
「おちんちん切っちゃいたい願望」
が急速に先鋭化して来ているのではないかなと感じます。
メンタリティは夢見る少女として「傷付けられる性」でありながら、セクシャリティは
「傷つける性」でもある現実から逃れるために、身体も女性化しちゃいたい願望。
もう身体的にも「夢見る少女」になってしまいたい。同一化したい。
オタク的に言えば、萌えキャラクターとの同一化願望。
完全に男性が排除されている「マリア様がみてる」が男性にここまで受け入れられている事や、
エロゲの「処女はお姉さまに恋してる」のヒット、ショタの存在とかからは
その様な流れが何となく感じられるのです。
エロゲ、エロ漫画も主人公である男性ではなく、実は少女の方に感情移入してるのではないか。
現実での母性的身体を恐れる反面、実はとてつもない憧れを抱いている事の当然の帰結として。
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/log/2005/05/post_a260.html#rezu
を出発として
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/log/2005/07/post_cbf5.html
に至る。
このへんの議論、傷つける性、については、著者が参考としてあげているように、ササキバラ・ゴウ氏の著作に詳しい。彼や大塚某、動ポモの人、あのへんの文化圏にみられる思考態度だったと思う。もともとこの思想は、あずまんが大王のヒットに対して適用され、それがマリみてに援用されている模様。