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続編登場。
結論から言うと、こういう考え方をするのは、自我を確立できていない人、自立できていない人だ。何をやってもよくて何をやってはいけないのかを決めるのは、ルールではなく自分だ。そして、それを自分で決める以上、自分は絶対的に善である。そうした考え方を持てない人は、常に「お前は悪」と言われることにびくびくしなければならなくなる。
これは、自我が確立している人にとっての「現実と妄想の区別がつかない」とは根本的に違う。自我が確立している人は、現実の中に妄想が入り込んでくる。ふと我に返って、なんてことしてしまったんだと恐くなる。自我が確立していない人の場合は、現実に返ってこない。自分がしたことと頭ではわかっているが、その「自分」という感覚がなくなってしまっている。「あー、俺が殺したんだ。そうなんだぁ」くらいの認識しか持てなくなってしまう。
「読みたくない」とわざわざ言うくらいなら、読むな。いくら「書くな」と言われても、書きたいものは書け。「必死だな」と言う奴は、一度くらい必死に何かやってみろ。たとえそれが派手に失敗したとしても、最悪殺されるだけで済む。一生ビクビク暮らすくらいなら、いっそ殺された方がいいじゃないか。
「誰が何と言おうと、俺はエロゲーに青春をかけるんだぁぁぁ!!」と言う人にはもう何も言わん。がんばれ。
全体としては面白いコラム。ただ、
・エロゲが悪いと気づかないのは、自我が弱いからだ(自我が悪い証拠だ)
・自我が悪い人間は、虚構と現実の境界が曖昧になる。
と、循環論法に思えてくる。
ありがちな対話
「裁判長〜、ボクは無実です」
「それは反省していない証拠です」
みたいなものか。