"Bildungsroman"
http://en.wikipedia.org/wiki/Bildungsroman
A bildungsroman (IPA /ネbjld・Ks.roフmaミn/, German: "novel of education" or "novel of formation") is a novel which traces the spiritual, moral, psychological, or social development and growth of the main character from (usually) childhood to maturity.
きょうよう-しょうせつ けうやうせう― 5 【教養小説】
〔(ドイツ) Bildungsroman〕主人公のさまざまな体験による自己形成の過程を描いた小説。ドイツ文学の伝統の一。ゲーテの「ウィルヘルム=マイスター」など。発展小説。
"微妙に教養小説というものを誤解してんじゃないか? って気がすんだけど、どお?"
http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060328/p3
近年的に「いわゆる」ビルドゥングスロマン(教養小説)とか言うと違うのかもしれんが。「少年・青年の健全な成長、人格形成を描いた物語」とかなわけか?
えらくまた勝手な限定してると思うがなあ。
"人身御供論―通過儀礼としての殺人 角川文庫"のレビュー
本書は形態分析のパートは興味深かったのですが、結論部分で不明瞭な印象を拭えませんでした。というのもキー概念である「成熟」の規定が明確でないため、結論がぼやけているのです。ムラ社会においては、ムラの再生産の要請に従ってムラと一体化し、社会的役割を果たすようになることが成熟だと理解できますが、近代における成熟とはいかなるものか、本書は必ずしも明らかにしていません。
また著者は、国家に同一化するかたちでの成熟ではなく、個としての成熟の大切さを述べますが、個としての成熟がいかなるものかについても言及はありません。おそらく、形を変えて次々に訪れる現実を受けとめることが、近代における成熟と何らかの関係があるのでしょうが、「成熟」という概念の説明に一つの章を割くべきだったのでは。--
"心情開拓史の構造を持っているもの"
ビルドゥングス・ロマンとは、言ってみれば、人生未体験者の精神発展史……つまり、「未知」あるいは「無知」で「無自覚」な人間が、「知覚」「開眼」「円熟」という精神的成長にいたる心情開拓史の構造を持っているものなのです。-
"主人公が若いうちからさまざまな経験や人との出会いを通して人間的成長を遂げる"
ところで古くにビルドゥングスロマンというジャンルがあって、日本では教養小説という下手な訳語でかえってわかりづらくなるが、要するに主人公が若いうちからさまざまな経験や人との出会いを通して人間的成長を遂げるといった、TVの大河ドラマにも使われそうなお話である。で、これの主人公はたいがい男性ときまっていた。女性は結婚や出産、男性遍歴の節目で「変化」はすれど、それは「成長」とはみなされなかった。--
" 少年が困難を克服して、大人になる=家族を回復する=連れ合いを獲得する"
もともと、男の子向けのビルドゥングス・ロマンにせよ、寓話にせよ、あるいはライトノベルの原型でもいいんだけど、その中枢部だけ抜き取ると
少年が困難を克服して、大人になる=家族を回復する=連れ合いを獲得する
というのが大枠になるわけだ。-
"自分にはなにもわかっていなかったということを理解し大人への第一歩を踏み出す"
自分はあらゆることを知り尽くしていると思いこんでいる頭の悪いガキが、イロイロあった末に自分にはなにもわかっていなかったということを理解し大人への第一歩を踏み出す。これがいわゆる「ビルドゥングスロマン」と呼ばれるジャンルであり、小説やら映画やらで繰り返した語られてきたものだ。「革新的」として、なんやかやと話題になった「ファイト・クラブ」とて少なくとも映画版の方は、世紀末風の意匠を纏ったビルドゥングスロマンだ。大雑把に(とても大雑把に)いえば、かの「マトリックス」もまた世紀末版ビルドゥングスロマンである。-
自己実現と自意識の去勢
http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20060327#1143459263
成長とはなにか、というと、ひとつは自己の能力の拡大による可能性の増大であり、ひとつは可能性の増大による欲望充足の増大――つまり自己実現であるわけですが、一方で野放図な自意識が去勢され規制されて形容を整えられていくという側面もあるわけです。しかし現代における社会の分子化と象徴界の衰微(毎度毎度便利な言葉を使ってるという自覚はあります)は、自己実現の側面においても、社会的自我の形成という面においても、ぼくらにとって不十分な契機しか与えてくれない。極言すれば、この社会において「成長」は酷く困難かつ偏頗な形を取ると思います。そのひとつの現れ方が、「主人公が成長せず、ヒロインが傷つく」類の青春小説ではないかと思ったりもします。