「誰が言ったか、何を言ったか」

「科学論文なんて、誰が言ったかじゃなくて、何を言ったかの最たるものだろ」
とか思ったが、ちょっと考えると論文は実名組織名が必須であり、そして論文の価値自体は「どこに載ったか」で判定されるので「誰が言ったかじゃなくて、何を言ったかが大事」の例には使えないな。
 思考実験としては、「アカデミアと無縁な研究グループが論文を無名の雑誌に投稿し掲載、そしてそれは世界を動かす大発見であった!」も考えられるが、それは猿のシェイクスピア執筆に近く、ある分野で特異的な業績を上げる人は、本人か監修者かはその分野にそれなりの造詣が深いことが普通だろう。学会での権威より、作成したデータが重要視される点では「何を言ったか」的だけどね。


 ネットバトルについては、「倫理水準を果てしなく上げてそれに満たない相手を攻撃し、自分らの分野で攻撃されると『その話はしていない』『論点をずらすな』って言いだす」事例*1が多いので、「誰が言ったか」と「スタンダードの揺らぎ」は重要だと思っている。

*1:誰でも侵さざるをえない罪を『原罪』と呼び、軽々しく責めてはいけないものだと思ってる

ネタ・メタ・ベタ… マジ・”あえて”

事象にネタ・メタ・ベタなどの視点を導入し、そして特にプロレスを論じ、そしてセカイに対してこれらの視点をもって対峙し、最終的にセカイと対決するための縁とする…


昭和末期のポストモダン仕草である。



さて、先日「ギターソロを飛ばす話」が棘られて、それで"涼宮ハルヒの憂鬱"*1挿入歌、God knows… を思い出した。京アニによる超絶作画が支援したライブシーンは各方面に影響を与え、"けいおん"から"ラブライブ"に至る「アニメキャラに歌を歌わせて、声優ともども売り込む」企画の中興の祖といったところか。元祖は民明さんな。同時代にアケマス*2が稼働し、動画・歌唱・声優の三位一体の二本柱といえよう。で、なんでハルヒからGod knows…かっていうと、やはりハルヒがすごくメタい作品だったことと無縁ではないだろう。ベタなバンドサウンドがメタな作品世界で正当化されるのだ。キャラとして声優が歌うのは、"らき☆すた"だって、他の作品だって普通のことだが作品中でキャラが演奏し歌うのは、バンドを結成する作品、”けいおん”を待つことになる。
(AKB48の発足は2005年、ブレイクは2009-2010年ころなので*3、パラレルと言えるかな。)

*1:2006年、原作は2003年-

*2:2005-

*3:https://nendai-ryuukou.com/artist/005.html

雑記

ギターソロが飛ばされる

ギターソロが飛ばされるって話をみた。
ギターソロ、

  • ソロギター:ギター好きが一人で曲を演奏するもの
  • ギターソロ:バンドなどで演奏する際、ギターのみ演奏するパート
    • ギターソロ(イントロ)
    • ギターソロ(間奏)

みたいに分類でき、たぶんギターソロ(間奏)なんだろうな。ハードロックとかプログレ系のコンサートはギターソロが長く、トイレ休憩タイムになったりするとかの話もあった。


アニソン系だと金字塔的存在が"God knows..."で、超絶作画を背景にいつまでも聴いていられるギターソロではある。ギターソロの良さを語るひともTogetterには多いが、しかし、「蕎麦を汁につけずに啜り香りを楽しむ」的なリテラシーが求められる予感。

3×2=

数学の3×2=x の"="は等式で、算数の3×2= の"="は手続きである(ホントか?)。
これが一つの問題であり、演算結果を求める手続きには"=:"を勧めたい(うそです)。
小学校低学年の"=:"は、結果が存在しうることが自明であるが、そうでないときもある。
3÷0=:
という場合は「計算不能」となる。
このあたりがずっとわからなかったが、"=:"は「結果が存在しうる」とは限らず、何らかのエラーが発生した場合には演算を中止し、エラーログにエラーメッセージを出力しないといけないのだ。

1ー3=: -2 になるのか、1ー3=: 解なし エラー:「解の範囲が負になりました」になるのかは前提次第であろう。当然、3÷0=: は解なし エラー:「Divison by zero」だ。

このへんが前提によって変わることはプログラムを見るまで認知できなかったな(学んだとは言ってない)。


ついでにいうと、1÷0=0という処理は嫌いで(自分の周囲ではみたことはないが)、仮に給付金が10万円×a÷aになるという処理があったとしよう。aが0以外の実数なら10万円貰える筈である。ところが、1÷0=0だとするとa=0の時貰える給付金はゼロ円になってしまう。計算式の趣旨からいって10万円貰える筈なのに!!! Divison by zeroで演算が止まれば、ああ、なんかおかしな処理をしちゃったかなと立式を再検討してくれるに違いない。

雑記

ギターソロが飛ばされる

ギターソロが飛ばされるって話をみた。
ギターソロ、

  • ソロギター:ギター好きが一人で曲を演奏するもの
  • ギターソロ:バンドなどで演奏する際、ギターのみ演奏するパート
    • ギターソロ(イントロ)
    • ギターソロ(間奏)

みたいに分類でき、たぶんギターソロ(間奏)なんだろうな。ハードロックとかプログレ系のコンサートはギターソロが長く、トイレ休憩タイムになったりするとかの話もあった。


アニソン系だと金字塔的存在が"God knows..."で、超絶作画を背景にいつまでも聴いていられるギターソロではある。ギターソロの良さを語るひともTogetterには多いが、しかし、「蕎麦を汁につけずに啜り香りを楽しむ」的なリテラシーが求められる予感。

雑記

ストーリーとディティー

「読者は、こめけぇとこばっかり突っ込んでくるんだよ」
ってSNSのTLを見た。


たとえば、スターウォーズを考えてみよう。デススターが真ん丸ボールにお皿で、スターデストロイヤーが楔にエンジンだけでも、他のところが同じ進行ならストーリーは同じ筈。じゃあ、観客が同じ感動を得られたかというと、うーん。
 スターデストロイヤーなんかの撮影に使ったミニチュアは、プラモとかそういうのを利用してディティールを作り上げたという話もある(真偽不明)。超巨大宇宙戦艦の飛ぶ原理だの構造だの真に知るものはいないはずだが、それっぽくできてればいいんだよ!そしてそれを再現するには現実にあるそれをテケトーにコラージュするのが一つのやり方であろう。

言葉が通じない

「過剰診断」という言葉が通じない話があるが、「プラゴミ」
の話が通じなかった。

可燃ごみ」が、「雑多な紙のみ」を中核として牛乳パック・汚染ビニール類・段ボールや小冊子 を含んだり含まなかったりする場合があり、また
「プラゴミ」が「包装用プラスチック類」を中核として、汚染プラ・食材トレイを含んだり含まなかったりする場合があるので

「ユニバーサルゴミ捨て表」とか用意してもらい、「ここからここまで」とか煮詰めないと合意は取れそうにないのだが、ほとんどの人はゴミ捨ての範囲ってハードワイヤードなので…

雑記

「3cmのヒモの5倍は何cm?」

"3cm"は実体数だが、"5倍"は無単位であり形式数と思われる。普通に無単位で考えていたが、強いて言うなら"単位"だろうか。面倒なのでu(unit)と書く。
1単位3cmのヒモは単位込みで3cm/uという表記になり、5単位は15cmとなる。これでスッキリ!

改憲

改憲するなら、12,13,22,29条の基本的人権、居住移転職業選択、財産権に公共の福祉による制約をぶっこみたい」
ってネタを考えたが、みなにガチ切れされそうなのでここに書くに留める。憲法に「公共の福祉」による制約を盛り込むなんてプーチン以上のファシスト扱いされそうだもんな。



0で割ったらいけないことに決めよう

「なんで0で割ったらいけないの?」
「10個の玉を、3人で分けてみよう。まず3つ取って、トレイに乗せて持ってきて、こことこことここにおく」
「はい」
「また、3つずつ取ってみよう」
「うん」
「おなじように」
「おう。1つ余った」
「一人3つ、そして余りが1だね。次に2人でわけてみよう」
「えーと、2つ取って、また2つ取って… 全部終わった。あまりはない」
「そうだね。次は1で割る」
「1個とって、もう1個とって… 10個、あまりゼロだ」
「そうそう。次は、ゼロを取ってみよう。つまり、トレイになにも載せず持ってきて、なんにも置かない」
「なんにも動かさないと、いつになっても終わらないじゃん」
「それじゃ嫌だろ?だから、ゼロで割ることは駄目。そう決めておくんだ」
「じゃ、パパがやってよ!手をこう動かして、なにも載せず、こっちで何も降ろさない。ずーっとやってて!ボク、その間遊びに行くね」



このループ式カウント法なら10個のミニカステラ(長方形)を、0.5個ずつ移動させることで10 ÷ 0.5 = 20 という計算も実現できるかな。


ルールのルール

ttps://togetter.com/li/1883766

科学にしても、倫理にしても、「斉一性」「対称性」「普遍性」っていうのが根源から二番目くらいの真実じゃないかなあ。
「こっちで起こることは、あっちでも起こる」のが科学、「彼に保障されるものは、私にも保障される」のが倫理。「ここで鍋を火にかけたら沸騰し、あちらで鍋を火にかけたら凍った」じゃ社会はメタメタになる*1し、「私の物は私の物、彼の物は彼のものではなくやっぱり私の物」じゃ社会はメタメタになる。「万人の万人に対する闘争」(羅: bellum omnium contra omnes, 英: the war of all against all)状態だ。

ということで、
「切符を買わずに電車に乗れると私たちは便利だけど、鉄道会社は収入がなくなる。逆に、電車に乗りたいの人は一万円出せとか、お前は気に入らないから電車に乗っちゃダメとか言われると困るでしょ?これを"万人の万人に対する闘争"状態というんだ。そうならないように皆でルールを決め、乗客はお金を払い、そして鉄道会社は勝手に運賃を値上げできないし、乗客もえりごのみできないようにしている。来たれ我らのリバイアサン!」
って説明すればいいのかな。


この辺の「対称性」の話、「みなが金を払えば、私くらい金払わなくてもいいじゃない」「なんなら、私の分だけ広告宣伝費で払っても」的な「対称性の破れ」に弱いんだよな…

*1:正確に言うと、斉一性が実現している分野で『当然』という心性が発達したのだろうな