雑記

「3cmのヒモの5倍は何cm?」

"3cm"は実体数だが、"5倍"は無単位であり形式数と思われる。普通に無単位で考えていたが、強いて言うなら"単位"だろうか。面倒なのでu(unit)と書く。
1単位3cmのヒモは単位込みで3cm/uという表記になり、5単位は15cmとなる。これでスッキリ!

改憲

改憲するなら、12,13,22,29条の基本的人権、居住移転職業選択、財産権に公共の福祉による制約をぶっこみたい」
ってネタを考えたが、みなにガチ切れされそうなのでここに書くに留める。憲法に「公共の福祉」による制約を盛り込むなんてプーチン以上のファシスト扱いされそうだもんな。



0で割ったらいけないことに決めよう

「なんで0で割ったらいけないの?」
「10個の玉を、3人で分けてみよう。まず3つ取って、トレイに乗せて持ってきて、こことこことここにおく」
「はい」
「また、3つずつ取ってみよう」
「うん」
「おなじように」
「おう。1つ余った」
「一人3つ、そして余りが1だね。次に2人でわけてみよう」
「えーと、2つ取って、また2つ取って… 全部終わった。あまりはない」
「そうだね。次は1で割る」
「1個とって、もう1個とって… 10個、あまりゼロだ」
「そうそう。次は、ゼロを取ってみよう。つまり、トレイになにも載せず持ってきて、なんにも置かない」
「なんにも動かさないと、いつになっても終わらないじゃん」
「それじゃ嫌だろ?だから、ゼロで割ることは駄目。そう決めておくんだ」
「じゃ、パパがやってよ!手をこう動かして、なにも載せず、こっちで何も降ろさない。ずーっとやってて!ボク、その間遊びに行くね」



このループ式カウント法なら10個のミニカステラ(長方形)を、0.5個ずつ移動させることで10 ÷ 0.5 = 20 という計算も実現できるかな。


ルールのルール

ttps://togetter.com/li/1883766

科学にしても、倫理にしても、「斉一性」「対称性」「普遍性」っていうのが根源から二番目くらいの真実じゃないかなあ。
「こっちで起こることは、あっちでも起こる」のが科学、「彼に保障されるものは、私にも保障される」のが倫理。「ここで鍋を火にかけたら沸騰し、あちらで鍋を火にかけたら凍った」じゃ社会はメタメタになる*1し、「私の物は私の物、彼の物は彼のものではなくやっぱり私の物」じゃ社会はメタメタになる。「万人の万人に対する闘争」(羅: bellum omnium contra omnes, 英: the war of all against all)状態だ。

ということで、
「切符を買わずに電車に乗れると私たちは便利だけど、鉄道会社は収入がなくなる。逆に、電車に乗りたいの人は一万円出せとか、お前は気に入らないから電車に乗っちゃダメとか言われると困るでしょ?これを"万人の万人に対する闘争"状態というんだ。そうならないように皆でルールを決め、乗客はお金を払い、そして鉄道会社は勝手に運賃を値上げできないし、乗客もえりごのみできないようにしている。来たれ我らのリバイアサン!」
って説明すればいいのかな。


この辺の「対称性」の話、「みなが金を払えば、私くらい金払わなくてもいいじゃない」「なんなら、私の分だけ広告宣伝費で払っても」的な「対称性の破れ」に弱いんだよな…

*1:正確に言うと、斉一性が実現している分野で『当然』という心性が発達したのだろうな