雑記

主語の大きさ

 いろいろ考えるが、世界は「五千円で国産牛とマグロ御膳」か「二千円で鶏唐揚げにイカソーメン定食」か、この二つの選択しかありえない。
 デカルトヘーゲルマルクスだロックだと哲学書を積み上げれば全員が「二千円で国産牛とマグロ御膳」を食べられるわけではないと思われる。
 「みんなで五千円の国産牛とマグロ御膳」を食べようぜ!」と言えば「えー、五千円~」となり、
 「鶏唐揚げにイカソーメン定食なら二千円だぜ」と言えば「えー、鶏唐~」となるので
 「彼はさ、可哀そうだから二千円で国産牛とマグロ御膳を食べさせてあげなよ。料金?それをなんとかするのが『おまえ』の仕事」という言説に溢れることとなる。


 主語が『我々』ではなく、『おまえ』な『おまえ啓蒙主義』、殴り返されない奴を『おまえ』に選ぶので一見うまくいきそうだが、そううまくいくかなあ。

本格ファンタジー

 なにがどうでも、『都会と田舎を峻別する線は存在しない。従って都会も田舎もない』なんて言説がヘンなのは明白だろう。田舎にタワマンはないし(※例外あり)、都会に広い駐車場を持つコンビニはない(※例外はあるのかもしれない)。
 本格ファンタジーをWeb小説のファンタジーより上の存在と位置付ける、俗にいう「マウンティング」のための分類には賛成しない。しかしまあ、ともかく『強い奴と一緒にダンジョンボスを倒すと経験値がたくさん入っていきなりレベルアップして強くなる』のが本格ファンタジーかというとうーん、であるが。
 ついでにいうと、本格かどうかと面白いかどうかはまたちょっと別。
 もうちょっというと、90年代以降はRPGの影響が入り過ぎていて「ナチュラルボーン本格」ではなく、「非ゲームファンタジー」になってそうな予感はある。
 さらにいうと、(ハイ)ファンタジーは神とか精霊とかに願ったなら叶えてよ、みたいなハヤカワFTで出版されるものであり、「物理で殴る」グインサーガやその源流エルリック・シリーズ、コナンなんかは分流のヒロイックファンタジーと呼ばれていた気がする。