部分と全体

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ゲーム理論をちょろっとチラ見したことがあるひとなら、「パレート最適」「ナッシュ均衡」という言葉を知っているだろう。民主主義国家は全ての有権者が国全体を考えて「パレート最適」を志向する場合によく運営され部分集団がそれぞれ個別利益を志向した場合には「ナッシュ均衡」に陥るだけではないか、というのが自分の信条である。部分集団は個別利益を志向してよい、それで他の全体最適を実現した国家と同等のパフォーマンスを実現するのが政府の仕事である、という人は多いけどね。どうやって実現するの?それを考えるのが政府の仕事だろ。はいはいそうですね。


 全体と、部分Aと部分B(そしてC,D,E… と多数あるのだが)があり、部分Aにとって、もしくは全体にとって有利だが部分Bにとって不利な政策を提案する場合、提案側は部分Bに責任を感じる必要があるだろうか?ある。というのが今回の記事だろう。とはいえ、500人の兵隊をスコップ3本で最前線に送り込み壊滅状態にしておいて、「砲撃したのは命令を下した私ではなく敵軍」「スコップ3本でなんとかするのが大隊長の責任。どうすればいいかだって?それを考えるのが大隊長の仕事だろ」って人は多いので。