Catharsisとは、ATの挿入歌ではなく(このネタ多いな俺)、
カタルシス、想像的経験(特に悲劇を見ること)による感情の浄化、患者に自分の苦悩を語らせ、その原因になった抑圧感情を取り除かせようとする精神療法、
http://ejje.weblio.jp/content/catharsis
まあ、ざっくり、「抑圧とその解除」っていうことにしておく。
シンゴジラ
シンゴジは、単なる「SFX大作」ではなく、昭和ゴジラ、平成ゴジラを『庵野秀明』監督が、どのように料理するかっていう謎解きの面があり、どのような展開、どのような結末であっても一定のカタルシスは得られたかもしれない。蓋を開けると、
- 植民地扱いの日本が、宗主国の核に頼らず、自主防衛
- 日陰者の官僚が、集団力で解決
- いきなり、ローファイで宇宙大戦争マーチが流れ、リアルに囚われた心を特撮モードで洗い流す
- きょうもやられやくのアレやソレが、大きな役割
と、大感動モノであった。もちろん、そんなことじゃカタルシスは得られないよ!って人も多いだろう。
君の名は。
君名は、単なる「アニメ映画」ではなく、ほしのこえ、秒速と作品を発表してきた『新海誠』監督が、星を追う子ども、でコケた大作への挑戦、どのようにリベンジするかっていう面があった。言の葉の庭、で一定の評価を得て上昇局面ではあったろう。予告編で、RADが流れた時から予感はしていたが、
- 美麗な新海背景、新海雲がRADをBGMに流れると、視覚と聴覚の莫大な情報量に頭の中が洗い流される
という体験が得られた。
さらに、最後の場面、
- このまま、滝くんが就職し、CADの前で消耗しながら、適当な女性と付き合って振られ、夜の新宿を歩き出し、そこに山崎まさよしが流れ始めたらどうしよう…
と心配する展開にしておいて、最終的にRADが掛かったので大感動モノであった。どうでもいいけど、おんなじ中央線上り、快速と緩行が、乗客の顔が見えるくらいに近づくのは水道橋御茶ノ水間だよね。まあ、神田明神の階段ですれ違ったら、なんか別作品になってしまいそうだが。
聲の形
原作未読。
いやもう、ネタバレになるが、「耳が聴こえない」硝子の話でありながら、「声が聴こえていなかったのは自分だった」という価値観の転倒がすげぇ。
当然ながら、それまで積み上げた演出があるから、それに驚いたっていうわけだが。
この作品の場合、一転して主人公をイジメにかかった担任や(元)仲間に復讐したり、彼らが不幸になった姿を見せたりしてカタルシスを与えないところが味ってもんで。
片隅
これも、背景からしてカタルシスを与えるような作品ではなさそうだ。
クライマックス、「耐え難きを耐へ、忍びがたきを忍び」、ちな、これ、みんな分かったんだろうか…、そして翻る旗、すずの慟哭。これまで、「戦争の苦難の中で耐えて生きてきた」被害者の立場だと思っていたが、加害者の側面も持っていたという価値観の転倒なのだが、そこまでグローバルな見解を獲得するっていうのは凄い。これだけマスコミやネットが発達した昨今だって、「電力は中東の民衆を踏みつけて獲得した石油から発電されている?知らんがな。電気を供給するのが政府の責任。どっから資源を持ってくるなんて消費者には関係ねぇ。石油が駄目なら、太陽光と風力にして、陽が照らず、風が吹かないときには経産省の役人が棒持って輪っかグルグル回せよw」って人が多いのに。
どうでもいいけど、時限信管の件。250kg爆弾が爆発すれば、半径30mは衝撃波や弾片で凄いことになる筈っていう指摘を見掛けたが、すり鉢状のクレーターの底面付近で爆発したため(逆)円錐形に吹き上がって被害が限局的だったって解釈した。
The RED RAIN
やられる→やり返す! の凄いカタルシス。
今現在の問題と、過去の問題が徐々に提示され、ヘイトが高まったところで「倍返しだ!」