"自動運転車"のミライ

 部分的な自動運転は、アイサイト等で「追従クルコン」などのカタチで実用化されていて、そしてそれは社会を大して変えていない。社会に大変革が起きるのは、90が99に、そして99が100になった瞬間。つまり、人間の同乗不要な「完全」自動運転車が実現されたときだ。これが実現されてはじめて、「乗り捨て自動運転車」とか「自動運転トラックによる輸送」とかが実現され、都市中心部から駐車場が消えるだろう。だけど、そのハードルは高い。信号待ちの反対車線の車の陰から飛び出す自転車を回避できるだろうか?住宅地で脇道から飛び出す腹這いスケボーを認知できるだろうか?秋葉原コトブキヤ前のような、歩行者と自動車が分離されていない繁華街で運行できるだろうか?
 しかしまあ、車道を二列で走る自転車を検知、安全に追い越せるまでずーーーーーーーーーーーーーーーと車間距離を取って追走する自動運転車、その後ろで大渋滞の自動運転車列、飽和する道路、停滞する都市交通、になれば交通事故は減るので喝采もおおかろう。自動運転車は「危険」でもないのにクラクションは鳴らさない。