七面鳥の寓話

「『ある七面鳥が毎日9時に餌を与えられていた。それは、あたたかな日にも寒い日にも雨の日にも晴れの日にも9時であることが観察された。そこでこの七面鳥はついにそれを一般化し、餌は9時になると出てくるという法則を確立した。そして、クリスマスの前日、9時が近くなった時、七面鳥は餌が出てくると思い喜んだが、餌を与えられることはなく、かわりに首を切られてしまった。』
帰納法の危険性を表現した寓話・・・この七面鳥の寓話はラッセルの作とも言われている。)

http://blogs.yahoo.co.jp/crazy_tombo/42019169.html

 面白いが、よく考えてみると、「確率的・論理的・一般的な法則は、個々人にしてみれば、救いにはならない場合もある」って話かなあ。
 首を切られた七面鳥が転生し、再び七面鳥として農場に飼われたとして、帰納法の代わりにポパーだかラッセルだかを学んだ場合、利点はどこにあるのだろう。


杞憂

 杞国に天が崩れてきたら、 逃げるところもないではないかと、心を痛め、 心配のあまり、食事ものどを通らないし、 ゆっくりと眠ることもできなくなった人がいた。
 やつれきった様子に、友だちが心配して、諭しにやって来た。
「天は大気の集まりで、 そこいらじゅう大気だ。私らが体を動かしたり、 息吸ったりするのなんかも、一日中天の中にいてやっていることだ。 天が落ちてくるかもしれんなんて、心配することはない。」
すると、
「天は大丈夫だとしても、日や月や星は落ちてきたりしないか。」
と言う。
「日や月や星も大気の中で光っとるだけだから、落ちやしない。 落ちてきても怪我することはないんだ。」
「それじゃあ、大地が壊れたらどうする。」
と、またその人が心配して言った。
「大地は土の塊だ、大地は四方の果てまで土でいっぱいで、ないところはない。 私たちが地に足をつけ歩くのも、一日中大地の上でやっていることだ。 だから壊れることはないから、心配はいらん。」
 それを聞いて、その人はようやくほっとして、喜んだ。 諭した者もまた、大いに喜んだ。

http://www.katch.ne.jp/~kojigai/kiyu.htm

空が落ちてこないことを確信していたかのような言い分だが、心配した人は、実はスゴイ哲学者だったのかもしれん。それに、西暦199X年になると、地球は核の炎に包まれ、愛で空が落ちてくることを予期していたのかも。