"ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/433403638

ざっと見た。


「大人社会」が崩壊し、大人と子どもの差が「経済力の差」と「情報量の差」のみとなり、後者があやしくなったイマ、大人と子どもの区別に意味があるでしょうか、みたいな話があった。


基本的には、ACGNというか、青少年向けコンテンツを読んだことの無い人が、それらを軽く触れる為に読む新書のようだった。

ドラゴンボール(や、エヴァ)の育児放棄っぷりについては
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100512/1273598659
こちらのエントリーで解説されているし、


まがりなりにも、成長を描いたDBと、(ほぼ先天的で)成長の無い能力系バトルのワンピース、鋼の錬金術師の対比については、
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20041222
こちらのサイトで各種コメントされているし、


まあ、このへんのエントリーを眺めたことのある人には刺激が少なくて面白くないかもしれん。



昔の過去ログより再再掲。人身御供論@大塚英志

 「物語、とはその場合、共同体的世界観をいうが、今日それは限りなく微分化し、皮肉にもそのような物語と一体化することは、「成熟」ではなく「自閉」だとさえ見なされる。あるいは物語が限りなく微分化したことに耐えがたい人々は他を圧倒的に凌駕する唯一の物語を求めようとする。しかし、いずれにせよそれは「世界」(それが大きなものであろうが小さなものであろうが)という物語のなかでの自己実現であり、それを希求する限り、逆に世界をめぐる物語を人は「現実」と錯覚し、そこに帰属しない他者を抑圧する」

 「移行対象」という幻想への依存と「幻滅」(移行対象殺害)が、この時代に成立しうるビルドゥングス・ロマンだと。

1994年の著作。