"ツンデレの勝利条件から考える、教養小説回復の困難さ:前篇"

http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20051019/p1

少年が困難を克服して、大人になる=家族を回復する=連れ合いを獲得する

70年代の「宇宙戦艦ヤマト

主人公と故郷の傷の回復は容易で、ストレートに家族は回復される

80年代の「機動戦士ガンダム」「銀河英雄伝説

主人公と故郷は回復不能の傷を負うが、かろうじて疑似家族の回復に成功する

90年代〜00年代「新世紀エヴァンゲリオン

主人公と故郷は回復不能な傷を負い、疑似家族の回復も困難となる

そんなこんなから、ツンデレの位置づけを考えると、最近、ふと思っているのは

コミック・美少女ゲームを中心として90年代後半から数を増やしてきた、「色んなタイプのヒロインが登場するハーレムもの」は、弱体化してしまった教養小説の少年性を、ヒロインの多彩さによって補填する機構なのではないか

 少年性とは何か。成長への確信であり、未来の確信であろう。belive in the future!
 成長が、成熟が、未来が、そして天国がアプリオリに与えられ、もしくは信じるに十分な強度を持つからこそ、困難を克服する冒険を始めるのだ。物語には結末がある、という確信が与えられるからこそ、物語を読み始めることができる。少年にとって未来は自明のものではなく、ヒロインによって与えられるものであることは、ラノベやエロゲを読めば明らかである*1
 

*1:もちろん冗談