自家用車不合理論

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/muffdiving/20091013/1255363661
自家用車不合理論者は、どうも、「戦前は自家用車なんてなかった」のを論拠としているような気がする。
自家用車必要論者は、「現在の生活水準を維持する」ことが前提なので、話は噛み合わない模様。


「自動車がなければ買い物に行けない」「明治時代には店なんて村にはなかった」
「自動車がなければ仕事にいけない」「明治時代は、みんな村で働いた」「村で農業じゃあ、ろくに収入が得られない」「世界には、年収数百ドルの地域がどれだけあることか」

みたいな。

おまけ

「冤罪の恐れがあるから、刑の執行は良くない」的な話になるが、自家用車に対して禁止税的な課税をすると(たとえば、年100万とか)、「俺のベンツは商用車だもん」みたいに、自営業者が「商用車」で通勤し、ドライブに出かけるのを、サラリーマンが指をくわえて眺める時代になりそうな気が。形式で区別すると、日本でもピックアップが流行るのかもw

 

反応

同じ議論を繰り返さなくても、ガソリン価格が1リッター当たり200円以上を維持していたら国内の車保有状況は早く変わっていただろうし、地方の平均所得が下がり続けることで同様の効果が現れるのではないか?

http://b.hatena.ne.jp/fuzzy2/20091013#bookmark-16691572

こんな階層が思い浮かんだ。

「自動車がなければ仕事にいけない」

「東京から仕事を分けてもらわないと仕事がない」

「大手から受注できないと仕事がない」

「英語が使えないと仕事ができない」

http://d.hatena.ne.jp/fuzzy2/20091013/p1

 個人や、法人の反応としては、「○○だから、××できない」と諦めてはそこで試合終了なので、「○○の状況下で、××する方法」を探すのが「正しい」とは思うけど、「可能性」は可能性かな。とは思う。
 外環を越えたあたりでも、駐車場の空きが結構増えてきたという話を聞いた。住民が必要性を感じても、経済事情が許さないことは、今後増えてはくるだろう。「バイクに三人乗るより、タタの方がずっと快適」というインド人を笑えなくなる(俺は笑ってないよ)時代も、もうすぐ?