感想文の話

 人間の脳内は、近代的自我がチューリングマシンのように作品を解釈しているとは限らない。
 国会のように、722くらいのフラグメントがあり、それぞれがそれぞれの方式で対象を解釈し、賛成票反対票を出している。
 消費税10%法案、だって、経済学的に景気に与える影響がどうとか、考える議員もいるだろうし、低所得者にはどうとか、福祉財源が、とか、党の拘束とか、アイツが賛成なら俺は反対、とか、いろいろな議員の思惑があって、可決否決という採決結果になる。対象物、本や映画の鑑賞も、通常は、そういう漠然としたフラグメントがチュンチュン囁き、採決結果がなんとなく可決とかなんとなく否決、と出力されるだけだ。

 まあ、主体を捏造する話。