ダブルスタンダードを排撃するのは難しい

極小の可能性を過大評価
「携帯電話がペースメーカーに及ぼす危険性は全く無いと証明されていない。だから携帯電話は使うべきではない」

http://d.hatena.ne.jp/terracao/20080316/1205667545

 まず、科学は価値判断をしない、ということが大前提。
 科学は、ペースメーカーに携帯電話が及ぼすリスクやメカニズムを記述することができる。で、「だから許容されるべき」「許容できない」というのは、社会の規範に拠らざるを得ない。
 で、複数の前提を巧妙に使い分けると、論理自体は自動的に進行はする。


「携帯電話がペースメーカーに及ぼす危険性は全く無いと証明されていない。だから携帯電話は使うべきではない」
→ゼロリスク論


「タバコを吸ってもガンにならない人もいる」
→例外もある論


 「社会では、一定の有用性と、一定の生存権のもと、一定のリスク、不快感は許容されていて、許容されるべきである。電磁波は、一定の法規制のもとで発信が許容されており、これまで大きな実害はすくないため、一定の区分のもとで発信を許容されるべきであろう。自動車の排ガスも同様である」と、このへんに立ち返らないと正誤の評価は困難かなと思う。