まぐれあたりのジョブズ

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1998年、iMacが発売された。まぐれ当たりらしい。
1999年、iMovieが発表された*1
2001年 1月、iTunesが発表された*2
2001年10月23日、iPodが発表された*3。まぐれ当たり(略
2003年、iLifeとして発表された*4
2003年 4月28日 iTunes store*5

 Macを、リビングルームに持ち込み、メディアセンターとして利用するという方針はそこそこ一貫している。もう少し、条件が整っていれば、iMacFirewireを標準装備とし、動画編集がもう少し盛んになり、画像共有にも手を出していたかもしれない。もともと、iPodは、Macの周辺機器であり、Macの拡販のためにiTunesは、Macのみの配布であった。「まぐれ当たり」のiPodを、そのままMacの周辺機器にとどめておかず、iPodを主役に据えたのも、まあ、「まぐれ当たり」なんだろう。iTunes-iPodという環境は、Appleによって閉じたものとなっていて、AAC形式によるiTunes storeを可能にした。怪我の巧妙か、「まぐれ当たり」なんだろう。
 条件としては、MSもおんなじで、メディアセンターの重要性は理解していた。Windows Mediaに、creativeのZen(みたいなの)。Sonyもおんなじで、独自形式の管理ソフト、独自形式のフォーマット、ミュージックプレイヤー。これらの組み合わせを比較すると、「まぐれ当たり」ぶりがよくわかって面白い。

論理的、独善的

 某ミュージックプレイヤーは、非常に転送が遅いと言う。独自コーデックであること、そして著作権管理を厳密に行うことが理由だとか。「論理的には正しい」。一方、売れている某社の製品は、トップが使用感にこだわると言う。スイッチ一つを削れと煩いらしい。リッピングの度に、チェックイン/アウトの管理なんてさせたら製品を投げつけるかも。
 もちろん、前者が論理的で、後者は非論理的、というわけではなく、「ユーザーの人間工学的使用感」という論理が前者では後回しにされたのだろう。また、著作権管理が緩めだと、著作権管理団体から厭味を言われることは必至だが、企業トップが矢面に立たないよう製品を曲げるか、製品を曲げないようトップが立ち向かうか、そういう違いはあるのかも。
 まあ、すべてがまぐれなこの世界、製品の生産が多い中国があっという間に覇権を取る筈だ。


 でも、まぐれで殺虫剤が混入するのは避けてほしいな。