手作り

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 工業規格は、南北戦争の銃の製造から始まった。
 いくつかの銃を、銃床、銃身、遊底、と分解し、それを混ぜて組み上げて発射できる。
 現代では当たり前のことでも、当時は驚くべきことだった。
 ある特定の銃に、現物あわせで製造されていたわけだ。


 もちろん、どこかの国では、一丁一丁、丁寧に職人芸で組み上げられた小銃で、第二次世界大戦に突入した*1 **2。海の向こうの国では、精度が要求されない艦船は、非熟練工を作業にあて、精度が重要な航空機は、熟練工を回したという。海の反対側の国では、重いものを作るからと船舶に熟練工をあて、航空機には女子を当てたという噂を目にした。ありそうな話だ。

 

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%85%AB%E5%BC%8F%E6%AD%A9%E5%85%B5%E9%8A%83

*2:"近代の陸戦は近接支援火力と捉敵、通信技術が死命を制する。日本軍の銃剣突撃は“万歳突撃”として有名であるが、これは食料不足などの事情によってやむを得ず実施された戦術である。本来の日本軍の戦法は、三八式歩兵銃の狙撃によって敵兵力を削ぎ、さらに擲弾筒、歩兵砲で止めを刺すというものであった。三八式歩兵銃は確かに日本軍の象徴であるが、擲弾筒や歩兵砲などの簡便な近接支援火器を忘れてはならない。" 大戦初期の時点では、日本軍が極端に劣っていたわけではない。