正しさの境界線

http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20080103
 大元のエントリーにリンクを貼ると、燃えそうなので、このへんに貼ってみるました。
 属人論法というか、喋った人の、記述した人の人柄、権威、業績、そういうもので、命題の「正しさ」の評価は、容易に変わります。誰が言っても、1+1=2だし、重力定数は変わらないような気もしますが、そうでないことの方が多いようです。


 そろそろ飽きてきたけれど、もう少し。


 秩序を守るのは、大変なことです。警察官のようなものかもしれません。正義の使者を自認するなら、それが結果的に正義に繋がると思っていても、一線を越えると問題が起こります。令状なしの逮捕、不用意な拷問、無差別射撃。そういう行動は、彼が唱える正義を貶めることになるでしょう。
 「ほら、あいつのエントリー見てみろよ。結局、あいつは、適当な資料を持ち出して、厨厨見下したいだけなんだぜ」
 ギャラリーはそういう感覚を抱くかもしれません。


「はしげた氏」は、そういう点で、非常に抑制された言動でした。ピックアップされた限りでは。変に罵倒したり、嘲笑すると、言論テロリストと区別がつかなくなってしまうからでしょう。はてなでは、D_Amon氏が、よく抑制されたコメントを付していたのが印象的だったことを思い出しました。



追記

テロリストと議論するような連中もまたテロリストの味方であるという論はきついですな

http://b.hatena.ne.jp/kurokawada/20080103#bookmark-6975122

 この文章は簡潔で好きだ。
 テロリストと議論したからといって、テロリストの味方とは思わない。だけど、テロ対策といって、テロリストにシンパシーを持つ一般市民を含めて銃撃し、テロリストの宗教を、そして一般市民も持つ宗教を嘲笑すると、テロリストと大差ない存在に思えてくる。それが、テロリストのやり口だとしても。