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 リアルと、リアリティーとは、自分では区別している。
 想像上の、現実にはいない人物の死に涙し、十万の死を意味する数字は目にも留めない。
 前者は、リアルではないが、リアリティーはあり、後者は、リアルであるが、リアリティーはない*1
 感情を感じると、リアルリアリティーになる。


 さて、そういうわけで、リアリティーを出すために、いろいろな手段が生み出された。
 オーケストラが伴奏したり、絵を動かしたり、音を鳴らせたり。ブレアウイッチプロジェクトだっけ?劣悪な画質で、手持ちビデオの感覚を出したり。普通でいう、リアリティーの範疇から外れるが、ゲームのように、インタラクション性をだしたり。逆に、中途半端な3Dモデリングが、リアリティーを損ねることもある。で、普通の物語で、リアリティーを確保するための手法で、お仕事フィクションというのがある。まあ、美味しんぼが開拓した分野か。お仕事の薀蓄、構造を取り入れることで、話に筋を通そうとしたもの。もっというと、○○職人の人情話、みたいなものか。職業の薀蓄に興味があれば、御話も興味をもってしまう点で便利。最近だと、ブラックスミス、ロックスミス、魔法医、そんなんがあるのかな。
 ということで、ケータイ小説は、1)メールに似た形式、ケータイでの読書による、つまりフォーマットによるリアリティーの確保 2)短いスコープに最適化した文章 あたりが肝ではないかと思うが、読んでいないのでわからない。

*1:もちろん、前者を構成する動画ファイルのビットストリームに人は感動しないし、後者の、その一人を描いたドキュメンタリーは、観衆の涙を絞るだろう